“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

せっかく47都道府県を全部覚えた娘がいうのは・・・

2011年10月24日 18時50分10秒 | Weblog
大阪の橋下徹知事が大阪府知事を辞任し、大阪市長選に出るにあたり、
いわゆる大阪都構想が話題になっています。

大阪都構想とは、かつての東京府、東京市を東京都としたように、
大阪府、大阪市を廃止して、新たに大阪都を設置するという構想です。

この構想では、政令指定都市である大阪市・堺市と大阪市周辺の市を廃止し、
東京23区のような特別区を設けて、
それによって大阪府と大阪市の二重行政の解消しようという狙いがあります。

つまり、大阪都になることによって大阪府と大阪市という2つの行政が一つにまとまり、
大阪都からトップダウンで各区に予算を分配でき、効率化が図れるというわけです。

でも、特別区にすることで、議員の数も増えたりして、
逆にコストがかかるようになるのではといった、
いくつかのリスクやデメリットも指摘されています。

ま、それについては、僕は大阪府民ではないので、
これ以上あえて意見は述べないことにしておきます。

じゃあ、なんでこの話題を取り上げたのかというと・・・

今朝、この大阪都構想のニュースをテレビのニュースで見ていた
うちの娘に、「なんで都とか府とか県とかあるの?」と聞かれたからです。
たしかに、全部、県ならばわかりやすいのにね。

娘は、先日、全国47都道府県の位置と名前と県庁所在地を習い、覚え、
塾のテストでも満点をとったばかり・・・ 
その時は疑問を持つこともなく、丸暗記ですべてを覚えたのですが、
大阪都なんてことになると、せっかく覚えた1都1道2府43県の知識に、
にわかに支障が生じるというわけです(笑)

さて、その娘の素朴な疑問についてですが・・・

そもそも明治維新によって江戸幕府による幕藩体制が終結し、
1871年に廃藩置県が実施されて、
それまでの行政区分は1使3府302県となりました。
簡単にいえば、とりあえず廃藩置県ではほとんどの藩を県に替えてしまったので、
こんなふうに302県なんて数になってしまったわけです。

ちなみに、この1使とは北海道開拓使のことで、これはのちに北海道庁となりました。

一方、3府とは東京府・京都府・大阪府、
つまり、いずれも遷都されたことのある江戸・京・大坂の3つの大都市のことでした。

それが、それからも何度、何十度という合併、領域変更、すなわち廃置分合を繰り返して数も変化、
そして、太平洋戦争中に、東京府は東京市と合併して東京都となりました。
この時点では、僕の知るところ、
1都2庁(北海道庁に樺太庁も加えると)2府43県だったはずです。

それが、太平洋戦争後は、樺太庁がなくなり、北海道庁の庁がとれ、
沖縄県が一時アメリカの統治下におかれたのでカウントされなくなって、
1都1道2府42県となり、
1972年の沖縄返還によって、現在の47都道府県の形が完成したというわけです。

ま、これが、歴史の教員免許を持つ僕が知りうる範囲の知識。
もしかすると、間違っている部分もあるかもしれないのですが、
そのへんはご容赦下さい。

さて、僕が言いたいのは、こんなふうに都道府県の数も千変万化、
この140年の間にはかなりの変遷を遂げてきたがゆえに、
そのほうが行政が円滑に、かつ効率よく機能するというならば、
僕は、大阪府が大阪都となろうが、何県と何県が一緒になろうが、
はたまた一部でいわれているように道州制になろうが、
別にこだわりというか、差し障りはないのではないかと思うのです。
ですが・・・

要は、そのことについて、橋本さん対平松さんの選挙で簡単に結論を出してしまうのではなく、
地元の人を交え、国も交え、もっともっと議論がなされ、
みんなのコンセンサスが得られた上で決定すべきことだと考えます。



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駅前に出現した街占に手相を見てもらって・・・(笑)

2011年10月18日 21時51分03秒 | Weblog
先日、僕が夜な夜な出没する家からほど近い東急沿線のある駅前に、
珍しく街占(がいせん)が出ていました。

街占とは文字通り街角に簡易な椅子や机を出して占いをしている人たちです。

昔から大きなターミナル駅の周辺の街頭で店を出している街占は、
そのバックに暴力団の組織がついているとか、
彼らの上がりから、いわゆるみかじめ料が取られていたりするので、
あまり関わらないほうがよいという話も聞きます。

でも、ターミナル駅からは離れた沿線の小さな駅ともなれば、
そこにいる占い師はもう純粋に趣味で学んだ占いの腕試しをしているか、
困窮して生活のために占いをしている人かと思うじゃないですか・・・

ましてや新たな暴対法が施行された今なら、危なくないだろうと・・・

そんなわけで、いきつけの「M」で微醺程度にちょっと飲んだ僕が、
店から程ない駅前に差しかかったのは、午前0時を少し回ったと頃だったでしょうか・・・

銀行の前にひっそりと、《手相・人相》という文字の入ったセピア色の行灯を置いて、
年の頃なら60をちょっと越えた感じの街占の女性がぽつんと立っていました。

僕は思わず「おっ」と思って、立ち止まり、「いくら?」と訊ねると、
「2千円です」とのこと。
まぁ2千円なら試しに話を聞くのもいいかなと、
この女性の鑑定を面白半分に聴いてみることにしたのです。
ま、同業者による冷やかし的な行為は、あんまりよくないのはわかっているのですが・・・

さぁここからは、僕の心の動きとともにストーリーを追って下さい。

僕の手相は、手の平の親指側から小指側まで、
知能線と感情線が1本になって貫いている典型的なマスカケです。
一般に“天下取り”の相といって強運の相であるといわれていますが、
その実、他人のいうことを聞かない
我が道を行く頑固で孤独でマイペースなタイプの人間であり、
波乱万丈、浮き沈みが激しい人生となるが、
最後に人の上に立つような成功者となりうる・・・
とまぁ、こういう手相です(笑)

で、僕の手を見た女性、まず開口一番「あなたは人の上に立つ人です」
うん、うん、まぁそういうでしょうね。
そこまでは順当な鑑定で、納得!

ところが、そのへんから少し先行きが怪しくなって来たのです。

次に、「あなたは誰よりも家庭を大切にし、仕事を大切にする人ですね」と言うのです。

ここで最初のチェックが入りました(笑)

もちろん、僕は家族を大切にしてますし、
中指の付け根までくっきり運命線が伸びているくらいですから、
生活のためとはいえ仕事も大切に考え働き続けています。

でも、その見たては、僕の手相から直接読めることはなく、
むしろ僕くらいの年恰好の人間ならば当然のことだと思うのです。

僕のようにいちおうスーツを着たごくごく会社員風の熟年男性が、
ふだん一番気にしつつ大切にしていることといったら、
それは家庭と仕事のこと以外にないのは当然。

つまり、「あなたは誰よりも家族を大切にし、仕事を大切にする人ですね」と言っておけば、
その鑑定を聞いた人が、「間違いない」「当たっている」と思うに違いないという・・・
これはあまりに当たり前で無難な安易な鑑定だと思うのです。
というか、中味のない非常に巧妙な鑑定のテクニックだと・・・

そこで、ちょっとイジワルをして、
「僕はまだ人の上に立ててないのですが、いつごろそうなれるんですか?」
と訊ねました。

すると、彼女は「いつか?それは手相だけだとわかりません。生年月日がわからないので・・・」と言うので、
僕は「午年の3月生まれです」と追加情報を入れました。

と、それを聞いた彼女は、「午ならば、来年は辰年ですからとてもよい年ですよ」と。

さらに、「3月生まれといことは早生まれで巳年も入っているからこれもいい。巳年の人も辰の年はいいんですよ」と・・・

ははは、このへんまで来ると、なんだかちょっとおかしさがこみ上げて来ました。

十二支の午と辰の組み合わせ、それと巳と辰の組み合わせ・・・
これは決して「悪くはない」組み合わせであるのは事実です。

でも、占い的にいえば、必ずしも「とてもよい」と言い切れるほどでもないのです。
可もなし不可もなしくらいかな?
だから、この女性はなんの根拠でそう自信をもって断言しているのだろう?!・・・と考えてしまいました。

そこで、「それって何か根拠があるんですか?」と念のために訊ねたら、
「昔からそういうことになっています」というなんともトンチンカンな答え(笑)

再び「?」と思った僕が、「じゃあ、このあとどうしたら運気がよくなりますか?」と訊くと、
「はい。今という時を大切に生きて下さい」とダメ押しの一言。

あはは、「今という時期を大切に生きて下さい」か・・・
これはもう万人の人に当てはまる、ごくごくごくあたりまえなアドバイスじゃないですか!
誰だって、今を大切に生きなくちゃ・・・
ここまで来ると、もう、この女性の鑑定はいったいなんのなのだろう?
どこで占いを学び、どう語れと教わったのだろう・・・と、しばし考え込んでしまいました。

それにしても、この程度の手相や命の知識で人の運命を簡単に論じてくれるな、でもあります。

と同時に思いました!
酔客相手とはいえ、こういう人が占いをしているならば・・・
“誰でも明日から占い師になれる!”と(笑)

この占いの2千円が安いか高いか?
たかが占い、されど占いですが・・・僕にはやっぱり高いかな?!



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同級生交歓~僕はやっぱり“へんな奴”だ。

2011年10月17日 15時54分11秒 | Weblog
秋晴れに恵まれた昨日10月16日、
早稲田大学のキャンパスでは早稲田OBの校友会の集いである
ホームカミングデーが開かれた・・・らしい(笑)

・・・らしいというのは、僕はこういう集まりには、とんと疎く、
卒業以来一度も参加したことがないからで、
そればかりか、校友会からそういう集いがあるよという通知すらもらったこともない(笑)

そもそもお前はホントに卒業したの(?)という世界だ(笑)

でも、そうであっても自業自得、しょうがない部分もある。
あんまり愛校心とか強くないし・・・通知が来ないのはその意趣返しかな?!(笑)

ところが、今年は卒業35年にあたる特別の年らしく、
ホントだったらホームカミングデーの実行委員か何かを務めなくてはいけないらしく、
そんな流れの中で、偶然、30年くらい年賀状のやりとりだけしかして来なかった同級生から、
他の奴にも声をかけるから、ホームカミングデーの時に会わないかと連絡が来た。

別に断る理由もない。

そこで、のこのこJRの高田馬場駅まで出かけた。

高田馬場駅に降りたのは、マジな話、実に35年ぶりだ。
なんだか小野田さんの帰国みたいなもんか?!

約束の時間に5分ほど遅れて馬場の改札口を出ると、
そこにFクンとHクン、それに旧姓Mさんの3人が、多少の経年変化を遂げながらも、
昔の面影を十分に残したまま、僕を待っていてくれた。

「やぁ!しばらく!」

しばらくなんてもんじゃない。35年ぶりじゃん(笑)

開口一番、Fクンがきつい口臭と加齢臭をまきちらしながら、
「ごめんよ。オレの人脈だとこれしか集まらなくて・・・」と謝ってきた。

Fクンは東京都の中学校の教師をしている。
まもなく定年の年を迎えようとしているが、
「オレは“政治”は苦手でさ」と、校長や教頭などといった出世の道には背を向けて、
生涯平教員を決め込み、自分の研究を本にして出版したりしている学究肌の人間だ。
まぁ、そういうところはなかなか面白い奴ではある。

ちなみに、このFクン、名門A中高時代はあの亡くなった中川昭一代議士と同級だったというが、
同じクラスにいても1回くらいしかしゃべったことがなかったという。
このへんにも“政治”には無縁のマジメな人間ぶりが垣間見える(笑)

一方、Hクンも千葉市の教員である。
彼は学生時代からひげを生やしていたが、いまはそのひげが白くなっていた(笑)

そして、Mさんも卒業後大手の企業に就職して、順当に結婚し、専業主婦をしているという。
楚々としていて品のよい奥さまという感じだ。

こう見ると、みんなナンパな僕なんぞと違って、マジメさ、フツーさが際立っている!

というか、こういうフツー(以上)の人たちと会うと、
僕の“特異性”は本当に目立ってしまう。
みんなから見ると、僕はソートーに変わった奴だと思ったことだろう。

そんな中、3人が3人、口を揃えて、「あとクラスにどんな奴がいたっけ?」と言うので、
僕が覚えている限りの同級生の名前をパァ~と30人くらい挙げたら、
「えっ?そんな人いたの?」と、3人ともびっくりしていた。
「なんという記憶力~~!」と感心された。

そうかと思うと、僕のナイナイづくしにもびっくりしていた。
たとえば・・・
・僕は入学式に出なかった!
・僕は卒業式に出なかった!
・僕は早稲田にいた時、一度も学食に行ったことがなかった!
・それがどこにあるのかも知らなかった!
・生協食堂というのにも行ったことがなかった!
・同じく大学の図書館に行ったことがなかった!
・卒業以来、一度も早稲田に行ったことがない!
・卒業以来、ホームカミングデーとやらにも一度も行ったことがない!
・3,4年の時に授業に出た記憶がほとんどない!
・・・などなど。

それなのに、僕の手元にはなぜか卒業証書がある(笑)
母が亡くなった時、遺品の整理をしていて発見したのだ!

やっぱり、僕は“へんな奴”だよね。

そんなわけで、昨日は同級生たちと久々想い出を肴に美味しい酒を飲んだ。

居酒屋さんの横のブロックでは、
僕らよりひと回り上の先輩の人たちが20人ほどで飲んでいたし、
逆隣りでは学生たちの集団がコンパをやっていた。

そこには世代を越えて早稲田に集う人たちの姿があった・・・
ちょっぴり懐かしかった。

ちなみに、昨日は、慶應の日吉キャンパスでも、
オール慶應の同窓会である連合三田会大会が開かれた。

僕は今年の連合三田会大会の大会券を購入してあったけれど、
後輩のE夫婦に記念品の引き換えを頼んで高田馬場のほうに足を向けた。

う~ん、やっぱり僕は“へんな奴”だ。



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月運天中殺とアコースティックフェスティバル@野音2011

2011年10月11日 17時28分15秒 | Weblog
月運天中殺のため、相変わらず不調にあえいでいます。

でも、これは毎度のことだもん(笑)

なんだか風邪がこじらせたようで(?)咳が抜けません。気管支炎かな?

それにしてもこの月運天中殺というのが、意外に、意外に侮れないのです。

西馬込にあるいきつけの「Y」のマスターなぞ、
今年になってからは、ご難続きで、
春先にころんで肋骨を折ったかと思ったら、
月運天中殺の最中の9月に、こんどはバイクでころんで左腕を骨折。
全治3カ月というからこりゃ重症ですよ!
天中殺中のクルマの運転ってけっこうヤバいんですよ。

土曜日にぶらりとお店に寄った時、
お店はママと手伝いのMちゃんの二人で切りまわしていたので、
「怪我したマスターはどうしてるんです?」と訊ねたら、
「することがないので、家でたぶんテレビを見ています」とのこと。
あれまぁ、そりゃヒマしてて可哀想だなと思い、
ママに、「明日、日比谷の野音で僕が構成を担当するコンサートがあるので、
よかったら遊びに来て下さい」と伝えておいてもらいました。

さて、翌9日、朝、マスターから電話があり、「行ってもいいの?」とのこと。
もちろん「どうぞ!」と言いました。千客万来ですよ。

『アコースティックフェスティバル@野音2011~リスタートジャパン』
これが今回のコンサートの正式タイトルです。

かつてのフォークミュージックの殿堂である日比谷の野音から、
東日本大震災の被災地に向け、元気な歌声を響かせようというチャリティコンサートです。

出演は、ビリーバンバン、ブレッド&バター、稲垣潤一さん、太田裕美ちゃん、
そして、被災地・宮城からの特別ゲストとしてあの「青葉城恋唄」のさとう宗幸さん。
それから司会は、「走れ歌謡曲」の小池可奈ちゃん。
いずれも僕が日頃からかかわりがある親しい方たちばかりなので、
僕自身にとっても構成していて楽しいイベントでした。

翌月曜日の朝ワイドでも芸能ニュースの中でその模様が流れたそうですね。

僕は午後1時までラジオの仕事があり、その後、野音に駆けつけたのですが、
幸いポカポカ陽気の良いお天気で、ほっと胸をなでおろしました。

なにしろ屋外のステージはお天気が一番の難敵なのです。

それでもリハーサル中に、自分たちの出番まで、
客席で日向ぼっこをしているビリーバンバンのお兄ちゃん(菅原孝さん)と話していたら、
「夕方からけっこう冷えるよ」と言っていました。
・・・たら、本当に冷えてきた(笑)さすが40年の芸歴!

くだんの「Y」のマスターは、約束通り3時半に来てくれました。
腕をつった状態で・・・やっぱり大儀そう・・・

でも、3時間のコンサートを十分堪能してくれたみたいで、ホントよかったです。

さて、話は月運天中殺に戻ります。

いま僕自身のことで一番気になっていることは・・・

来月早々、これまたいきつけの「M」のマスターから、
山梨へ1泊の予定でヌーボーを試飲に行こうと誘われているのですが、
クルマを運転してということ・・・
バイクでころんだ「Y」のマスターを見てもわかるとおり、
天中殺の間のクルマの運転は大いに注意なのです!
皆さん、覚えておいて下さいね~(笑)

もちろん、今回はワインを飲んで運転するわけにはいかないので、
いったん宿まで行って、そこにクルマを置いて、
そこからはタクシーを使ってワイナリーめぐりをすることになっているんですが、
山梨までの行き帰りは十分に注意をしなくちゃ!

ちなみに、なぜ僕はそういうことを先に書いているのかというと、
先に心配事を吐くことによって、悪い気を出してしまおうとか、
言ってしまえば、逆にその通りにならないだろう、
なんて姑息な手段に訴えているわけでもありまして・・・
ま、こういうのを悪あがきというんですかね(笑)



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田村はまだか・・・Oタンってさ・・・おやじの飲み会考

2011年10月06日 06時38分31秒 | Weblog
僕やH先生が一番仲良くしている後輩たちが、
今年こぞって50代に突入するということで、
H先生あたりが旗振り役になって、
今年は毎月のように“誕生日会”なるものを開催しています。

といっても、人の誕生日を肴にみんなで集まって、
わいわい飲んで騒ぐだけみたいなもんですが・・・

それでも4月に最初に誕生日会をやったMケンの時とか、
その次に個人で青山のレストランを借り切って
大パーティーを主催したFちゃんの会の時などは、
それぞれの家族やら知人やら後輩やらなにやらかにやらも参加し、
それなりに誕生パーティーらしい体裁だったのですが、
それが3回、4回ともなると、本末転倒もいいところで、
今では単なる飲み会になってしまいました。
ま、楽しいけど、ひどいね(笑)

先日なぞ、3人の合同の誕生パーティーのはずなのに、
六本木の老舗のカラオケスナックのVIPルームで、男ばっかり10人で飲み会。
それじゃああんまり寂しいからと、
途中、一人が会社の秘書の女性を呼び出して、紅一点の盛り上げ役に・・・

そんなこんなで夜の1時過ぎまで飲んで歌って騒いでました。
みな50代のイイおぢさんたちなのですが・・・

結局、その深夜のご乱行が、
現在の風邪っぴきと体調不良の遠因になっていることは決して否定できません。

と、話はその折、まだカラオケタイムが始まる前のこと、
みんなでちびちびと今流行りのハイボールなぞやっていた折に、
誰からともなく口の端に出たのが、
「最近、Oタンはどうしてる?」というOタンという同輩の消息についてのセリフ。

Oタン・・・この男がすごい、半端じゃないくらいにすごい!
とにかく“野獣”のような男でして・・・(笑)

そんなわけで、その日は、何か話題が途切れそうになると、
「そういえば、Oタンってさぁ・・・」と、
非常にいい間合いでOタンの話題が入ってくるのです。

「みんなで海に行った時、Oタンってさ、素潜りでこんなにでっかいタコを獲ってさ、
お~い、タコ獲ったぞ~」
「そうそう、それを拾ってきた空き缶に入れて焚き火で煮て食べちゃったんだ」とか・・・

「Oタンってさ、テーブルに前の客の食べ残したラーメンの丼が置いてあると、
そこに残ってるツユまで飲んじゃうんだ」
「それだけじゃないよ、あいつ食べ方がめちゃくちゃなんだ。
あいつが食べた後は食い散らかした状態になっててさ、
隣にいた大学生みたいな連中が、いい年してキタネ~おやじ~~(!)って顔して見てたんだ」とか・・・

「Oタンって、Mの結婚式の二次会のパーティーの時も大暴れしたよね」
「うん、あの時はブルート・ジム・バーナードみたいだったな」とか・・・

ある意味では、その場にいなくても、その消息がつかめなくても、
これほど愛されている男は珍しいのではあるまいかと思えるほど・・・

そんなOタン談義の光景を横目にしながら、
僕はふとデジャブーのように、
2009年に吉川英治文学新人賞を受賞した
朝倉かすみの『田村はまだか』という作品を思い出しました。

『田村はまだか』は全六話の連作短編。六話とも設定は同じユニークな作り。

舞台は、札幌ススキノのスナック「チャオ!」の店内。
そこで、5名の男女が、飛行機が遅れて
同窓会に参加できなかった田村という友達の到着を待って、三次会を開いていた・・・
と、みな、ひとしきり話をした後は、必ず「田村はまだか」とつぶやく・・・

「そういえば、Oタンってさ・・・」は、
まさにこの「田村はまだか・・・」の、
微妙な“間合い”のつぶやきと共通しているような気がします。

『田村はまだか」は現在文庫本化され、講談社文庫から出ています。
ちょっと設定がおしゃれで、面白く、かつ軽妙な文体は決して読み手の気をそらさず、
吉川英治文学賞の時の浅田次郎や伊集院静らの選評も絶賛に近いので、
皆さんもよかったら探しあて読んでみて下さい。
満足すること請け合い!

ちなみに、この道産子の閨秀作家・朝倉かすみさんも50歳。

かくして、後輩たちも50代へ・・・

ということは、僕はまもなく60代か・・・ああ、あないみじ。


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月運天中殺の前倒し?!10月の声を聞いたとたん体調不良に!

2011年10月05日 07時39分32秒 | Weblog
お久しぶりです!
半月以上更新が滞ってしまったもので、いつも読んで下さる方から、
「忙しいんですか?それとも体調が悪いんですか?」と、
消息メールをいただいてしまいました。

そのどちらも是なりです。

体調もイマイチだし、忙しくもある・・・
ただし、忙しいのは遊びが(?) 体調が悪いのはそのせい(?)

気がつけば10月、8日には月運の戌亥天中殺に突入です。
体調が悪いのは、おそらくそのせいでしょう。
先週の末から、ノドが痛く、例によってお腹全体が張っているようでシクシク痛む・・・
これは、僕が風邪にかかったときのお決まりのパターンです。

おまけに、昨日は午後から腰が痛くて、痛くて、まとも立っていられない。

こうなると、もう寄り道して一杯ひっかけて帰るどころじゃありません。
早々に帰宅し睡眠をとるに限る。人間、寝るのが一番。
特に、熟年の男性は、睡眠不足が一番いけない、
それが脳梗塞やらなにやらの因となるそうで、
僕もこのところの不調の源は睡眠不足によるところが多いと思われます。

それにしても、僕はこのところ毎年、
月運天中殺に入った後の10月23日ごろ風邪をひいていたはず、
それが前倒しされて10月の上旬に風邪をひくということは、
去年よりも寒くなるのが早いということもさることながら、
僕自身もそれだけ歳をとった、つまり老化現象が進んでいるということかな?

いずれにしても、月運天中殺の間は無理をしないようにしなくては・・・

そういえば、昨日唐突に鑑定にやってきた女性は、
ダンナさんと別居中で、かつ不倫相手がいるという抜き差しならない状態の方で、
「この後どうなるか?」と訊ねられたのですが、
見ると、これがもう3人とも仲良く来年2月4日から辰巳の年運天中殺に入るので、
描けるシナリオも推してするべし・・・
けだし、ジェットコースター・ムービーのようというか、
ローリング・ストーン・ムービーのようというか・・・

皆様、天中殺おそるべしですぞ。
たかが天中殺ですが、されど天中殺ですぞ!
○○さんの天中殺は、なんでしたっけ?


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