佐倉市議会はしおか協美
市政にキョウミ
 



久しぶりのしづの里で初秋に出会いました。ご心配頂いた母は峠を乗り越え
少し話せるようになりました。


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母が救急搬送。

血中酸素濃度が80を切って、肺炎です。

そのまま入院。

1週間が山です。

昨日はずっと大雨の能登半島地震被災

地。

仮設住宅も床上浸水。

命優先お願いします。


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慶事あり。菊で華やかに。秋の香!!


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何年経っても忘れられない日
御巣鷹山の事故で520名もの尊い命がお亡くなりました。心から哀悼の意を捧げます。

墜落の原因については、最近でも様々な
説が飛び交っていますが、520名もの方が亡くなったことは事実です。

2度とこのような事故が起きませんように心から願って合掌いたします。


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佐倉日蘭協会は発足から38年、オランダ

児童交流、オランダ語教室、オランダ料

理教室、チューリップまつり出店、東京

散策(先日は青山学院)、オランダ事情講

演会等を開催しています。

本日は『広場の少女、アンネ・フランク』

アムステルダムユダヤ人の近現代史

千葉大学法制経学部

水島治郎教授👨‍🏫による講演

オランダが独立する歴史にはじまり

ユダヤ人とアムステルダムの街の発展

アンネ・フランク一家のメルヴーデ広場

での8年間の生活とアンネ、ハンネ、サン

ネの仲良しトリオを含めた仲間たち。

1942年7月6日からの2年間の潜伏生活に

ついては、2020年から3年間のコロナ禍

での生活を比較に呈示しながら、アンネ

の潜伏生活について講演してくださいま

した。

ドイツ軍によるユダヤ人への迫害の下、

レジスタンスにより600人の保育園児が

助けてられた事も知りました。

また、制限の大きい潜伏生活の中でも英

語やフランス語、地理学、歴史を学び、

生き生きとした日記の記述は、8年間のメ

ルヴーデ広場での生活が影響した事が分

かりました。

アンネは最終的には、ベルゲン・ベルゼ

ン強制収容所に送られ劣悪な環境で死ん

でしまいますが、広場で仲良しトリオの

一人であるハンネリと父である

オットー・フランクは生きびアンネの日

記が世に出る事になりました。

現代の世界情勢も踏まえながら実に深い

講演会でした。

ご興味のある方は是非、佐倉日蘭協会の

事業にご参加ください。








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