私のライフワークの一つは最期まで自分らしく生きていく社会を作ることです。1997年に様々な議論を経て臓器移植法が国会で可決しました。当時、脳死は人の死か否かについて議論され、脳死を扱った新作能「無明の井」が国内は元よりニューヨーク他海外でも上演され話題となりました。新作能「無明の井」は、嵐で難波し脳死状態の漁師と心臓を患っている娘が命の水を巡って争い、漁師が「我は生き人か、死に人か」と嘆きます。
人は死ぬときぐらいは穏やかにと願っていると思いますが、もしかしたら、命をかけた争いが待っていようとは想像だにしていないと思います。さらには、主人の両親と実父を天国に送り、最期まで自分らしく生きる意味について考えるようになりました。
では、最期まで自分らしくの「自分らしさ」とは何でしょうか。親や先祖は自分の中に生きています。親の背中を追っていく姿が自分らしくだと思っています。時には親が反面教師のふりをしてくれることもあります。
例えば、最期まで自宅で過ごすことが自分らしいと思っている人は全体の5割にのぼりますが、実際に最期まで自宅で過ごせる人は1割です。
また、いざ最期を迎えるときに約7割の人が延命治療を希望するかしないかについて意思表示が出来る状態ではなくなります。ですから、事前に家族と相談して最期をどう迎えたいかをきちんと決めておく必要があるのです。(ACP )
人は自分の人生を終える日が分かりません。私は、人生が限られた時間であればあるほど一時一時が尊いものであると気がつき、自分の命に感謝して、命を与えてくれた両親やご先祖さまに心から感謝出来る様になりました。