いらだちを覚えたりすると、タロをおともに裏山へ逃避した記憶は鮮明だ。
久しぶりに裏山に登ってみるか。思い立つと、誠はタロのひもを引っ張った。
「クィーン」
こちらを見上げたタロは甘えるしぐさで、誠を誘う。
裏山と言っても、なだらかな道が頂きまでちゃんとついている。今どきの山道はむき出しの石ころ道ではない。かなりな地点まで簡易舗装で歩きやすい。誰もが簡単でいて安全に山へ入れるのだ。時代なのだといえばそれまでだが、自然と触れ合う風情は今は昔となってしまった。
山に入ると、あたりはまだ薄暗い。ただ早朝の山あいは、空気が澄んでいて気分は最高だ。東京では決して味わえない心地よさである。タロの足もやたら元気で、ついていくのがやっとだ。
平坦な山道をため池に沿って歩いていくと、突き当りに赤い大鳥居が現れる。河上神社に連なる参道の入り口だ。大昔から勝負の神様として有名で、この片田舎に似つかわしくない風体の参拝者をよく見る。
ご神体は巨大な岩。京都伏見稲荷神社のご神体である巨岩と並び、有名らしい。ふるさとでありながら、誠はこの間まで知らずにいた。
立派なヒノキの古木が両脇に連なる参道は百メートルほど続く。いいロケーションなのか、映画の撮影が三度ほどあった。『天守物語』では、地区の人がエキストラに駆り出されて大騒ぎになったものだ。
本殿はまだ先にある。誠は参道の横道を右へ折れた。けもの道に近い山道が急な勾配で山麓を登る。ひとりだと不安を覚える鬱蒼さだが、タロが傍にいれば心強い。
少しなだらかな横道に突き当たる。どんどん進むと、中途に小さい祠が祭られてある。その前で湧き水が汲める。ご神水として昔から滾々と沸き続けている。下の病気や内臓の病に効くと俄然評判を呼んで、訪れる人が絶えなかったのは、誠が子供のころだった。いま目の前にある祠も泉も後輩しきっていた。昨今の台風や豪雨の影響を受けたのか、崩れかかっている。それを補修しようとする奇特な人もいないのだろう。
思い出す。季節を迎えるとワラビやマツタケなど山菜取りに山を駆け巡った日を。この湧き水を手ですくって喉を潤した良き日を。重宝な湧き水がご神水になり祭られると、妙な違和感を覚え、気楽に飲めなくなった、あの日を。
山あいにそれはあった。
四メートルは優にある巨岩だった。河上神社のご神体ではない。つとに有名な『ゆるぎ岩』だ。地元では『ゆすり岩』ともいわれる。市の自然文化財に指定された名所である。派手な賑やかしい名所旧跡を期待する向きには、つまらない巨大な岩がふたつ並んで立つだけの、殺風景な光景があるだけだった。ただ岩の頂部に張られた注連縄が神秘性をもたらす。
由来がある。法華山一乗寺を開いた法道仙人が、自ら呪文を唱え、この岩を押し揺るがされたそうだ。以来、善人が押せばユリ動くが、邪な心の持ち主なら、いくら強力をもってしても、びくともしないと言い伝えられてきた。
近年、世の中が殺伐としてきたせいもあって、あちこちからかなりの人が『ゆるぎ岩』詣でをする姿が目立っている。
誠は岩に向き合った。高校生になったころから疎遠になった岩肌が目の前にそびえ立つ。幼い誠が巨岩に圧倒された記憶は、待ってましたとばかり息を吹き返す。
「ほれほれ。揺れとる揺れとる。誠は優しいええ心の持ち主じゃからのう。将来、立派な人間になりよる。『ゆるぎ岩』が認めとるわい」
おびえる幼子に手を添えて岩肌を押させた父は若かった。「ガハハハハハ」と豪快に笑った父が忘れられない。
「……立派な人…か?親父の期待に応えられなかったよな……。不肖の息子だもんな」
誠はそーっと『ゆるぎ岩』に触れた。手の裏にザラッと、遠い記憶につながる感触があった。
久しぶりに裏山に登ってみるか。思い立つと、誠はタロのひもを引っ張った。
「クィーン」
こちらを見上げたタロは甘えるしぐさで、誠を誘う。
裏山と言っても、なだらかな道が頂きまでちゃんとついている。今どきの山道はむき出しの石ころ道ではない。かなりな地点まで簡易舗装で歩きやすい。誰もが簡単でいて安全に山へ入れるのだ。時代なのだといえばそれまでだが、自然と触れ合う風情は今は昔となってしまった。
山に入ると、あたりはまだ薄暗い。ただ早朝の山あいは、空気が澄んでいて気分は最高だ。東京では決して味わえない心地よさである。タロの足もやたら元気で、ついていくのがやっとだ。
平坦な山道をため池に沿って歩いていくと、突き当りに赤い大鳥居が現れる。河上神社に連なる参道の入り口だ。大昔から勝負の神様として有名で、この片田舎に似つかわしくない風体の参拝者をよく見る。
ご神体は巨大な岩。京都伏見稲荷神社のご神体である巨岩と並び、有名らしい。ふるさとでありながら、誠はこの間まで知らずにいた。
立派なヒノキの古木が両脇に連なる参道は百メートルほど続く。いいロケーションなのか、映画の撮影が三度ほどあった。『天守物語』では、地区の人がエキストラに駆り出されて大騒ぎになったものだ。
本殿はまだ先にある。誠は参道の横道を右へ折れた。けもの道に近い山道が急な勾配で山麓を登る。ひとりだと不安を覚える鬱蒼さだが、タロが傍にいれば心強い。
少しなだらかな横道に突き当たる。どんどん進むと、中途に小さい祠が祭られてある。その前で湧き水が汲める。ご神水として昔から滾々と沸き続けている。下の病気や内臓の病に効くと俄然評判を呼んで、訪れる人が絶えなかったのは、誠が子供のころだった。いま目の前にある祠も泉も後輩しきっていた。昨今の台風や豪雨の影響を受けたのか、崩れかかっている。それを補修しようとする奇特な人もいないのだろう。
思い出す。季節を迎えるとワラビやマツタケなど山菜取りに山を駆け巡った日を。この湧き水を手ですくって喉を潤した良き日を。重宝な湧き水がご神水になり祭られると、妙な違和感を覚え、気楽に飲めなくなった、あの日を。
山あいにそれはあった。
四メートルは優にある巨岩だった。河上神社のご神体ではない。つとに有名な『ゆるぎ岩』だ。地元では『ゆすり岩』ともいわれる。市の自然文化財に指定された名所である。派手な賑やかしい名所旧跡を期待する向きには、つまらない巨大な岩がふたつ並んで立つだけの、殺風景な光景があるだけだった。ただ岩の頂部に張られた注連縄が神秘性をもたらす。
由来がある。法華山一乗寺を開いた法道仙人が、自ら呪文を唱え、この岩を押し揺るがされたそうだ。以来、善人が押せばユリ動くが、邪な心の持ち主なら、いくら強力をもってしても、びくともしないと言い伝えられてきた。
近年、世の中が殺伐としてきたせいもあって、あちこちからかなりの人が『ゆるぎ岩』詣でをする姿が目立っている。
誠は岩に向き合った。高校生になったころから疎遠になった岩肌が目の前にそびえ立つ。幼い誠が巨岩に圧倒された記憶は、待ってましたとばかり息を吹き返す。
「ほれほれ。揺れとる揺れとる。誠は優しいええ心の持ち主じゃからのう。将来、立派な人間になりよる。『ゆるぎ岩』が認めとるわい」
おびえる幼子に手を添えて岩肌を押させた父は若かった。「ガハハハハハ」と豪快に笑った父が忘れられない。
「……立派な人…か?親父の期待に応えられなかったよな……。不肖の息子だもんな」
誠はそーっと『ゆるぎ岩』に触れた。手の裏にザラッと、遠い記憶につながる感触があった。