難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

「聞こえるということ」 人工内耳両耳装用効果への期待(1)

2012年12月30日 09時24分16秒 | 人工内耳
人工内耳ないしは補聴器の両耳装用は、その聞き取り能力の向上の効果があると言われている。

人工内耳と補聴器の両耳併用をした経験では、補聴器の低い音の聞こえを人工内耳の高い音の聞こえがカバーしたことで、人の声が生の声らしく聞こえたものだ。
補聴器では対面の人の声も何を言っているのかも聞き取りにくかったのが、人工内耳によって聞き分けられる要になった。ぼやけた音が輪郭が付いたというか、淡いカ色が彩度の高い色になったというか。

補聴器時代が長かったが補聴器で会話のラリーをするという経験はほとんどなかった。手話と読話も習得した中ですら会話に不慣れだった。
人前で講演、講話をする機会は多かったが原稿を用意して話す事がほとんどで、質疑応答も答える内容を頭の中で作文してそれを読むという感じだった。
人工内耳を装用し始めてから、自分の声が聞こえることが思考に大きな影響を及ぼした。つまり、自分でどのように声を発しているのか、相手に届けるために発している言葉を「聞く」ことでどのように聞こえているかが分かるので、発声や言葉を変えるようになってきた。

あることをしゃべると、それを聞きながら次にどのような事を話すかを頭の中で考える余裕が出てきた。
「今年最後のキンカンがあるのでこれから行ってきます。キンカンというのは毎週金曜日の首相官邸前のデモ行動のことです。」
聞こえた言葉が頭の中をくるくる回っている感じだ。これは言ってしまって良いのか、デモをすこし柔らかく言った方がいいのか、「しゅそうかんていまえ」なんて聞いても分からないか他の言葉が良いか、今日のお昼のカレーはおいしかったなとか関係ないことも頭に浮かぶ。

これが聞こえるってことではないか、補聴器では出来なかったことだ。14歳から54際までの補聴器装用では出来なかった「会話」だ。
大げさに言えば人の人としての特徴である言葉を初めて使ったようなものだ。2001年宇宙の旅だったか、初めて斧を持った原人が雄叫びを上げているシーンがあるがそんな感じだ。
(続く)

ラビット 記

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