要約筆記も要約筆記事業もいま大きな曲がり角にある。
要約筆記は聴覚障害者の情報保障のひとつであり、コミュニケーションの対人支援のひとつである。さらに文字による通訳である。
コミュニケーション支援、情報保障には、当事者が用いる補聴器や補聴援助システムがある。テレビや映画の字幕もそうだ。筆談は読話や手話のように聴覚障害者のコミュニケーション手段ではあるがコミュニケーション支援の手段とは言わない。
聴覚障害者の聞えを補い、コミュニケーションの支援をするために文字や手話などを使うが、その場で伝えるのが通訳である。議事録のように後から文字で伝えるのはもちろん通訳とは言わない。当事者に合わない手話の機械的表出も通訳とは言わない。
要約筆記が通訳であるとした場合、異言語間の言葉を伝えるのが通訳と言うが、同じ言語で音声を文字で伝えるのは通訳というのかと思うかもしれない。
通訳とは、異言語であれ、同一言語であれ、ある人の発した言葉の意味を第三者に伝えて、コミュニケーションを成立させることであるとすれば理解しやすいのではないか。
「要約筆記の三原則」というのがある。「早く、正しく、分かりやすく書く」だが、これはまさに相手に分かるように伝えることを指している。
「早く」は文字の表出を話に遅れないということだ。「正しく」は話の意味を的確に要約することだ。「分かりやすく」は表出された文が読んで理解できることだ。
言葉を別の媒体や言葉に変換する、手話と文字で表すだけでは通訳とは言わない。
話された文字を全て文字にしても、読んですぐ分からない文章では伝えたことにならない。話し言葉は抑揚、間合い、語調などが言葉の意味を補完していることはすぐ理解できる。
大学の講義でも結局何が言いたいのかわからない教授もいた。
ラビット 記