老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

309;疎まれても生きる

2017-08-17 10:57:20 | 老いの光影
疎まれても生きる

私がいまかかわらせて頂いている老人の最高齢は108歳 安達サタさん
次いで長寿な人は95歳の男性 小畑實さん(要介護2)。
60歳定年までは家畜の飼育を行い、その功労が認められ農林大臣賞を受賞
定年後は地域の民生委員や区長など地域社会においても貢献されてきた
90歳前後に認知症が発症
一時財布がない (長男嫁が)財布を盗った」などと被害妄想が出現するも
認知症の専門医に受診し服薬により物盗られ妄想は消失した
認知症症状は小康状態となるも 尿がでなくなり膀胱留置カテーテルとなった
カテーテルが足に引っかかり転倒し、腰椎圧迫骨折となり入院
退院後、週3回の小規模デイサービスを利用開始 


在宅訪問だけではなかなか見えにくいところがある
デイサービスに通い始め、昼食時の様子をみたとき
小畑實さんが抱えている問題が見えてきた
食に飢えている老人は
家族愛に飢え 家族から疎まていることがわかる
三食をきちんと食べておらず 栄養不足 水分不足から
熱を測ると37.0℃台の微熱、高熱は常にあった
お茶などの水分を摂り、95歳ながらも他の老人と同じ量を食べると元気になる
長男夫婦からは「その死を望まれながらも、なお生き続ける」實さん。
老いてからも 食べる営みは生きることに繋がっていることを
デイサービスのなかで実感した。
自宅で余り食べておらず栄養不足な老人は
週3回デイサービスの昼食を摂っても
微熱や青白い顔をし、足の運びも悪く、改善することは難しい。
週6回デイで昼食を摂るようになると
微熱は消失し顔色も良くなる、歩きも良くなり、体重も増えてきた。
家で疎まれている實さんも
週6回にすれば改善することが予想される
95歳が毎日デイサービスに通う体力はあるか
というよりは
老人の場合は 1食でも良いから きちんと食事を摂ることで
頭や体に栄養が行き渡り、体力が回復し元気になる。


55;丹羽文雄著『厭(いや)がらせの年齢』 《一部再掲》

86歳の老女、うめは、娘夫婦に先立たれ、
孫娘にあたる仙子夫婦と独身の瑠璃子(るりこ)、
幸子夫婦の間をたらいまわしされている。
孫娘たちから、その死を望まれながらも、なお生き続ける老女。
昭和22年頃の日本の状況は、敗戦直後で食糧難にあり、
そこへ惚(ぼ)けた(認知症)86歳の老女を抱え込むことになった孫娘夫婦にしてみれば大変なことであった。
86歳という年齢は、当時の日本の平均寿命からいっても、
とうに死んでもおかしくない年齢であった
(現在に換算すると100歳を超えていることになる。当時の平均寿命は50歳代)。
ここまで生き続けているうめの生命力、
周りの肉親すべてから死を望まれ疎ま(うと)れていながら、
なお生き続ける。
生きるとは、老いとは何か、
また人間のエゴの醜さ(みにく)も鋭く問い詰められたような短編小説である。


55;人間 なぜ生きなければならないのか / 丹羽文雄著『厭(いや)がらせの年齢』 全文参照して頂ければ幸いである

308;村役場から誕生日プレゼントが届いた・・・・

2017-08-17 00:00:08 | 老い楽の詩
村役場から誕生日プレゼントが届いた・・・・

昨日仕事から帰り
自宅のポストを開けたら
村役場から封筒が届いていた
開封すると
緑色の介護保険被保険者証が入ってあった
(交付年月日は平成27年7月31日)
介護保険料は年金から天引きされる
天引き開始になるまでは
本人預金通帳から引き落としする申請書類も同封されていた

65歳の線を越えても
私で在ることは 変わりはない
いま為している介護相談、ケアプラン作成の生業を
やれるところまで続けていく
物忘れが目立ち 歩くこともままならなくなったときは
介護サービスを利用することとしよう
嫌われない老人に努力していこうと思う
いまから・・・・