老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

329;心は自分自身のなかにあるもの

2017-08-23 21:43:21 | 老いびとの聲
心は自分自身のなかにあるもの

心は眼にはみえないもの
心は形などないもの
心は自分自身のなかにあるもの

眼は心の窓
自分の心そのものを映し出す
 
(島崎敏樹『心の眼に映る世界』教養文庫より 6頁、26頁)

328;蝉とこおろぎのハーモニー

2017-08-23 11:46:48 | 老いびとの聲
蝉とこおろぎのハーモニー

我家の庭
夏雨が続き
芝生は好き勝手に伸び放題
こおろぎにとっては絶好の棲家
夕暮れ時
近くの小森で
みんみん蝉は
晩夏の鳴き声
芝生の陰から
初秋の風を告げる
こおろぎの鳴き声
蝉とこおろぎのハーモニー

327;癌だましい  「人間死んだらもう食べることはできない」

2017-08-23 00:08:29 | 読む 聞く 見る
 山内令南(やまうちれいなん)『癌だましい』文春文庫
食道癌(ステージⅣ)を無視しながら 凄絶な食べることへの欲求
人間死んだらもう食べることはできない


文庫本で70頁余りの小説なので、一気に読み終えれる
錦田麻美は、介護員として老人ホーム(介護施設)に勤めているが、「職場の癌」と同僚から囁かれていた

小説の出だしが凄い
胸部食道の狭窄があり
唾液すら飲込むことができない。


「涎まみれで目が覚めた」の書き出しで始まる
唾液が逆流し、口元から溢れる。枕に被せたタオルは濡れ、顔も髪もベタベタだ」(9頁)
「顔といわず手といわず、どこもかしこも唾液の臭いがする」(9頁)
「わずかに開けた口から今も唾液が筋を引く。その上なお、時折ウゲッと喉の奥が鳴る。蛙が棲みついているようだ」(9頁~
10頁)

1日分の唾液1リットルら1・5リットルが口から流失する  尿はほとんで出ない

45歳の彼女 かっては84㎏あった体重は、半分を切り
わずかに体を動かすだけで動悸がする


麻美は、激痛を伴いながらもひたすら口から食べる
23頁~24頁にその様子が書かれている

「食べることは、すなわち痛みを受けることだ。そうであってさえ、麻美は食べる。
食べ物を口にする。痛みを耐えてでも食べたい。食べずにはいれらない。
麻美はただひたすら食べる。口に入れて咀嚼し、どろどろにして食道の途中まで送り込み、それをまた口から吐き出す。
・・・・どれだけ口に物を入れようが、どれだけしっかり噛もうが、何一つ胃へは辿り着かない。食道の狭窄部を通過するのは、水かお茶だけなのだから」。


彼女にとって食べることこそが人生であったのだ。
麻美は人生45歳で初めての病気が、食道癌
麻美はいま、家族はいなく一人暮らしの身
父、末期の膵臓癌
兄、末期の胃癌
母、末期の大腸癌
いずれも余命3ヵ月と告知され、告知のままに亡くなった


彼女は「人は死ぬもの」「いずれ人は死ぬのだ。必ず死ぬ以上、
それまでの一食一食が大切なのだ」


彼女にとって、生きることは食べること
彼女は食事を作っている時と食事をっしている間、なによりも幸せを感じていた

人間死んだらもう食べることはできない

「死んだ人はもう食べることもできないのだ」(82頁)

死と隣り合わせに生きている老人、
食事制限を受けている老人、
誤嚥性肺炎のリスクがある老人たちに
生きているときにこそ 食べることを
その老人にとって、その一食が今日最後の食事かもしれない
という想いで、食事をつくったり、食事介助していくことが大切であることを
麻美からあらためて教えられた
彼女は食道癌と闘うことより、食への欲求と闘い続けた
人間死んだら食べたくてももう食べることができない
葬式場の祭壇や墓に大好物を供えても食べることができない
生きることは食べること