老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1143 ; 昨日と今日

2019-06-05 21:26:04 | 老人と子ども
夏が来ても枯れずに咲いているハルジョン
昨日と今日

昨日「できなかった」ことが
今日「できた」ことに得意満面の幼子

昨日「できた」ことが
今日「できなかった」ことに気落ちの老人


昨日「立てなかった」幼子
今日「立てた」ことに大はしゃぎする幼子の親

昨日「立てた」のに
今日「立てなかった」ことに失望感を抱いた老人


昨日「歩けなかった」幼子
今日 地上の第一歩を「歩いた」幼子に親は大歓喜

昨日 どうにか「歩けた」のに
今日 杖を頼りにしても「歩けなかった」老人


1142;六月の雨 / 其の2

2019-06-05 04:44:43 | 歌は世につれ・・・・
六月の雨 / 其の2 


平成31年2月26日から令和1年6月5日まで
ブログは途切れることなく100日続いた
自分にとり始めてのこと
無理せずに書いていきたい
大切なのは 何を感じ 何を思い どうしたいのか


利尿剤1錠を服用しているせいか
夜中と夜明けに1回トイレに起きる

昨日は疲れ21時00分には寝床に就いた。
今日は3時半過ぎには目が覚めた。
寝ているwifeの背中を見て、“苦労かけているな・・・・”、としみじみ思ってしまった。

wifeとは平成18年に出会い
wife32才 自分54才のときだった
出会ったのは六月ではなく十月だった
それから
いくつ春を数え
いくつ秋を数え
二人でいたのか

これからも
見えない何かを信じながら
いくつ春を数えても
いくつ秋を数えても
二人でいたい

wifeの寝姿を見ながら想う


糸は張りつめすぎると 切れてしまう
心の糸は いくらか緩めたほうが疲れない
wifeよ ときには心の糸を緩め休みなさい、と無言で語りかけてみた

自分の場合は だらりと糸が垂れしまって 
風に揺れてしまっている