老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1178;人生が二度あれば

2019-06-26 21:38:03 | 歌は世につれ・・・・


人生が二度あれば

井上陽水の歌、40数年目に作られた曲『人生が二度あれば』

本当に人生が二度あれば
人生でやり残したこと、やれなかったこと
二度目の人生でそれができたらどんなにいいか
でも、人生は一度しかない

父の湯飲み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば
この人生が二度あれば


顔の皺が増えてきた父
欠けた湯飲み茶碗に写る
自分の顔をじっと見ながら思う
〝俺の人生は何だったのか〟
残された人生をどう生きて往くのか。
そんな問いかけがなされている気がする。

母は、子供だけの為に年とった訳ではないけれど
子供を育て、家族の為に苦労を重ね老いた母。
農家に嫁いだ母は、
農作業を終えた後も家事をこなし休む暇(とき)もなかった。

そんな母を見てると人生が
だれの為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば
この人生が二度あれば


老いた父と老いた母が
炬燵で向かいあいお茶を飲みながら
子供たちや家族の思い出話に耽る。
いまは長年棲んできた家には、老夫婦だけの暮らしが始まる。

残された時間は、ケセラセラの調子で、老いを楽しんでいければいい。

いま『人生が二度あれば』を聴くと
それは、老後をどう過ごして往くのか
あなたは・・・・