老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1149;目は心の窓

2019-06-09 07:20:06 | 老いびとの聲
目は心の窓

〝心の原風景〟の話から
両親が農業をしていたとき
我家には“生き物たち”が生きていた

猫2匹 二毛猫と三毛猫
犬2匹 雑種とスピッツ
綿羊1頭
山羊1頭
鶏 10羽
馬 1頭

馬は、“あお”と呼ばれ
あおは、春と秋の農繁期は忙しく農耕馬としてよく働いた。

自分が17才のときだった
親父が病で倒れ余命宣告され
離農することになった。
〝あお〟は一緒に暮らすことができなくなり

或る日、馬小屋に馬喰(ばくろう;馬の売買人)が来たとき
〝あお〟は興奮し暴れた。
〝あお〟は、家族との別離(わかれ)を察していた。
〝おお〟の大きな目はやさしかった。
〝あお〟の大きな目から泪が流れ、顔をすり寄せてきたとき
自分も泪がじわっと滲んだ。

心の原風景から 〝あお〟のことを想いだした。

beagle元気も 目の表情でうれしさや寂しさをみせることがある。
生き物たちは 純粋なだけに 目で感情を訴えるときがある。