私が生まれて育った風景
自分が住んでいた家から見た羊蹄山
17年余り自分は
羊蹄山とニセコ連峰を見守られ育ってきた
ニセコ連邦
冬はスキー場で賑やかになるニセコアンヌプリ
懐しい樹木の風景と青い空
祖父が山形県から開拓農民として移り住んだ
明治時代の頃であるから
本当に辛苦の時空間を刻んできた
冷害が多く
両親は苦労しながら農業を営んできた
遠くから朝夕には
蒸気機関車の汽笛が聴こえてきた
自分が高校1年の冬のとき
父は腸閉塞、大腸癌を患い43才の短命で終えた
自分は高校を一年間休学し農業をしたが
農業を継いでいく自信がなかった
父は断腸の思いで離農を決めた
屋敷、田畑15町歩は他の農民に売り渡した
冷害や農業機械の購入でできた負債返済で
手元に残ったお金は30万円にも満たない金額であった。
離農しニセコ町から
羊蹄山の麓、倶知安町に移り住んだ、
自分が住んでいた家から見た羊蹄山
17年余り自分は
羊蹄山とニセコ連峰を見守られ育ってきた
ニセコ連邦
冬はスキー場で賑やかになるニセコアンヌプリ
懐しい樹木の風景と青い空
祖父が山形県から開拓農民として移り住んだ
明治時代の頃であるから
本当に辛苦の時空間を刻んできた
冷害が多く
両親は苦労しながら農業を営んできた
遠くから朝夕には
蒸気機関車の汽笛が聴こえてきた
自分が高校1年の冬のとき
父は腸閉塞、大腸癌を患い43才の短命で終えた
自分は高校を一年間休学し農業をしたが
農業を継いでいく自信がなかった
父は断腸の思いで離農を決めた
屋敷、田畑15町歩は他の農民に売り渡した
冷害や農業機械の購入でできた負債返済で
手元に残ったお金は30万円にも満たない金額であった。
離農しニセコ町から
羊蹄山の麓、倶知安町に移り住んだ、