老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1170;言の葉に想う

2019-06-22 05:15:44 | 老い楽の詩
言の葉に想う

『言葉』を単純に、『言』と『葉』に分け、『言の葉』と表現してみた。
“おくりびと”という遺体を棺に納める“納棺師”となった男の話のなかで
古代に生きた人たちは、石の形や大きさで互いの思い(気持ち)を伝えた。
それを石文(いしぶみ)と言った。

石と同じく木の葉も、思いを伝えるような気がしてならない、

新緑の楓の葉は、瑞々しさを感じる。
瑞々しさを感じさせる言葉は、元気になる。
6月の雨に濡れた樹木の葉は、
その色の緑(あおさ)に心癒される。
ときには言葉は、人の心を癒す。

夏の楓の葉は、
強い陽射しの盾となり日影をつくり
人に涼しさをもたらす。
人間、ときに強い言葉に打ちひしがれてしまう。
そんなとき、そっと影となり心休ませてくれる。

秋の楓は、錦繍の葉となり
楓の葉は、美しく、その美に見惚れてしまう。
錦繍を重ねた言葉から、愛や恋文となる。

しかし、ときには紅葉が縮みくすみ往くさまは
別離(悲恋)の悲しさを感じさせるときもある。

錦秋は、人がそのときに持つ感情で
感動や癒されたりもするが
寂寥感を抱くときもある。

冬になると楓の葉、色褪せ穴があき朽ち往き
地上に落ち腐葉土となり
ゆたかな大地をつくる。

人はやりきれない悲しみや辛さのとき
無言の言葉であっても
言葉は心に滲み癒してくれる。

その人の話す(放す)言葉は
その人の人柄を表す。

その人のブログに綴られた言葉からも
やさしさ、慈しみ、包みこむような言葉に
勇気づけられたりホッとしたり癒されたりする。

言葉はときには刃物となり
知らぬ間に人の心を傷つけ殺してしまう。
忘れてはならない
言葉の裏側に潜む悪魔。

にんげん、最期にどんな言葉を語るのであろうか