老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1168 ; 自躰像

2019-06-20 10:15:53 | 阿呆者
自躰像

今日は自治医科大学附属病院腎臓外科 外来定期受診日
採血採尿検査を終え、診察待ち。

時間があるので、
自画像ならぬ自躰像を素描することにした。
自躰像とは、造語であり、いまの自分の躰を振り返ってみる。

自分は予定日よりも60日早く、この世に出てきたため
超未熟児で生まれてきた。
生まれた生家は、貧農で粉ミルクを買うこともできず
米のとぎ汁を飲み育ったらしい。

直立歩行したのは2才過ぎてからであり
そのためか両足は土踏まずが形成されず、
俗に言うべた足。
運動神経は悪く、得意とするスポーツ種目は一つもない。

中学3年生のとき、意中の女の子から
「男はスポーツができないともてないよ」、と言われた言葉は
いまも耳朶に残っている。

前書きが長くなってしまった。
肝心の自躰像について筆を進めていく。
自分の背丈は154㎝、せめて160㎝は欲しかった。
小中学校の体育や朝礼のときは、一番前か二番目であった。

いま、髪は白髪の一歩手前にあり、黒髪と白髪が混在している。
嫌なことに後頭部上の方に、100円硬貨と500円硬貨を足したほどの禿げがある。
鏡に向かい顔を見ると、皺が刻まれ年齢相応に映っている。
目の下は、クマができ、wifeから「熊何頭飼っているの」と揶揄される。
未熟児と栄養不良により、歯は隙間が多く、wifeは「空気漏れしている」と話す。

続く