北海道民のソウルフードと言われているようだが、確かにそうだなと思う。
なぜって、身をもって知る、それがソウルフードというものだ。
理屈になってないか(笑)
で、GWになると食べたくなるという刷り込みがあるのもジンギスカン。
テキトーに焼いても美味しいが、一定のルールがある(こだわりとも言う)。
※タレに漬け込んだラム肉の場合
使うのは中心の盛り上がった独特のカタチをした専用鍋。なければすき焼き鍋やフライパンでもよい。
まず、野菜をきっちりレイアウト。固い野菜を並べその上にもやし。そして点火。
野菜がほんわかとしてきたらタレつき肉を、野菜を覆うように載せる。
野菜は肉に覆われ、その中で蒸し焼きになる、肉は下から沸き上がる水蒸気で柔らかく加熱されるというメカニズムだ。
野菜はしんなり、肉は徐々に火が入り食べ頃も近い、わくわく、の図。
食べるときは、肉と野菜を適当にまぜこぜにすると旨い。
その頃には周囲の溝に肉汁や野菜の水分が流れ落ちて貯まるのだが、その後はそこで野菜を煮つめても良い。熱によって水分が蒸発し焦げないように時々お湯をさすことが肝要。
人によっては最初からここに水を張り野菜を煮る場合もあるが、これも悪くない。
なんたってジンギスカンは、地元ではジンギスカン鍋と呼ばれるくらいだから、焼く、というよりは煮るものでなはいか、というのが我が推論である。
語源になったといわれる、かのチンギスハーン。戦闘中の腹ごしらえにヒツジを締めて鉄兜を鍋にしてこれを煮たというらしい。その鉄兜がジンギスカン鍋の原型らしいが、現代、なぜ逆さ(くぼみが上)なのかは分からないが、使ってみれば合理的である。
宴が進むと、肝心なのは肉や野菜のつぎ足しである。
程よく場所を空け、そこに野菜を置き、また肉を載せるべし。
ペースを変えずに食べ続けることが肝要なり。鍋が焦げると味が落ちる。
てな具合に楽しんだGWの1日なのだった。満足。
なぜって、身をもって知る、それがソウルフードというものだ。
理屈になってないか(笑)
で、GWになると食べたくなるという刷り込みがあるのもジンギスカン。
テキトーに焼いても美味しいが、一定のルールがある(こだわりとも言う)。
※タレに漬け込んだラム肉の場合
使うのは中心の盛り上がった独特のカタチをした専用鍋。なければすき焼き鍋やフライパンでもよい。
まず、野菜をきっちりレイアウト。固い野菜を並べその上にもやし。そして点火。
野菜がほんわかとしてきたらタレつき肉を、野菜を覆うように載せる。
野菜は肉に覆われ、その中で蒸し焼きになる、肉は下から沸き上がる水蒸気で柔らかく加熱されるというメカニズムだ。
野菜はしんなり、肉は徐々に火が入り食べ頃も近い、わくわく、の図。
食べるときは、肉と野菜を適当にまぜこぜにすると旨い。
その頃には周囲の溝に肉汁や野菜の水分が流れ落ちて貯まるのだが、その後はそこで野菜を煮つめても良い。熱によって水分が蒸発し焦げないように時々お湯をさすことが肝要。
人によっては最初からここに水を張り野菜を煮る場合もあるが、これも悪くない。
なんたってジンギスカンは、地元ではジンギスカン鍋と呼ばれるくらいだから、焼く、というよりは煮るものでなはいか、というのが我が推論である。
語源になったといわれる、かのチンギスハーン。戦闘中の腹ごしらえにヒツジを締めて鉄兜を鍋にしてこれを煮たというらしい。その鉄兜がジンギスカン鍋の原型らしいが、現代、なぜ逆さ(くぼみが上)なのかは分からないが、使ってみれば合理的である。
宴が進むと、肝心なのは肉や野菜のつぎ足しである。
程よく場所を空け、そこに野菜を置き、また肉を載せるべし。
ペースを変えずに食べ続けることが肝要なり。鍋が焦げると味が落ちる。
てな具合に楽しんだGWの1日なのだった。満足。
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