HIBARIピアノ教室レッスン日記♪

ピアノのレッスン日記、その他ヒバリ先生が見聞きした音楽関係・芸術関係etcの日記。

補助ペダル

2009年09月08日 | 音符・楽譜・テクニック
ピアノは 手で鍵盤を弾くのはもちろんですが、足のペダルを使うことも とても大切な「演奏」のうちの一つです。
音をつなげたり、ソフトなふんわりとした効果を出したり、またオーケストラのトゥッティ(全員で音を一斉に出す)のような大迫力を出したりするのに、ペダルはかかせません。
生徒のみなさんにも できるだけ早いうちからペダルになじんでもらいたいと思いますが、椅子に座ると足がブラブラしてペダルに届かなかったり、逆にペダルに届かせようとして椅子をどんどん下げると、肝心の鍵盤がはるか上の方になっちゃったり・・・ という 小さい人のために、「補助ペダル」があります。

市販の「補助ペダル」として売られているのは、30センチ立方ぐらいの「箱」の上面にペダルがついていて、本来のピアノのペダルにかぶせて使うものです。
けっこう踏むのに力がいるし、幼稚園生や小学校低学年の子どもたちには、使いづらいものです。
おまけに高い!
高さが高すぎる。そんな高い「踏み台」に足を乗せたら、演奏の姿勢が狂ってしまいます。もひとつおまけに、値段も高い!(数万円もする)
ほんの10センチかそこら、高さがあれば事足りるのにさ・・・
そこでヒバリ教室では、補助ペダルがわりにこの厚底サンダルを使っています。(2年くらい前、近所のスーパーOZEKIの店頭ワゴンでみつけてきた)

底の厚みが6~7センチあるので、これを履いて足を「上げ底」にしてペダルを踏もう、という作戦です。
「バーナム」やテキストなどで、ペダルはよく使うので、みんなレッスンに来たら、まずこのサンダルを履いてからピアノの前に座るのです。

さて、今日Mちゃん(小5)は「パッヘルベルのカノン」の仕上げです。
ペダルも全曲通して使います。
いつも通りにサンダルを履こうとするMちゃんに、先生は言いました。
「Mちゃん・・・もうサンダル履かなくていいよ」
もうスクスクと背が伸びたMちゃんは、こんな「上げ底」使わなくたって、じゅうぶん、やっていける。
みんながペダルに足がとどくようにと先生が探して、見つけてきたこのサンダルを、2年間 毎週毎週、あたりまえのように みんなが履いてた。
ほんとは、Mちゃんにはいつの間にか必要なくなってたのにね。
先生からの"Mちゃんサンダルお別れ宣言"でした。

「そうか。確かに」Mちゃんは納得しました。
「あたし、背伸びたもんね~」と嬉しそうに言っています。ほんとにずいぶん伸びました。
「150センチになるのが夢なんだ!」
その"夢"はすぐ叶うよ・・・っていうか、もう叶ってるんじゃないの?と 秘かに思った先生であった・・・



たなばたさま-星の曲と星の王子さま-

2009年09月08日 | ジャズ曲・洋楽・ポピュラー曲
Tちゃん(小2):
先週は腹痛でお休みでした。
今日は元気にやってきて、ホッと一安心。
連弾「たなばたさま」の1stパートが、先週仕上がるかと思っていたのに1週延びてしまいましたが、今日はちゃんと自分で譜めくりもしながら、最後まで弾いてありました。
ただ、ト長調なのにファの音にシャープをつけるのを忘れて、ヘンな音になってるところがいくつかありました。

「この曲は、ほら、シャープが1個ついてるよ。何の音についてるのかな?」
「え~と・・・ファだ」
「そうだね。じゃ、うっかりしないように、ファの音に全部、赤で印をつけてよ」
Tちゃんは赤エンピツを握って、楽譜をずーっと見ていきます。
左手は、ほとんど同じ音型の繰り返しなので、ファは当分出てきません。
「ここもだいじょぶ。ここもだいじょぶ。」
先生と二人で声を揃え、「♪だいじょぶだいじょぶ~、だいじょぶだいじょぶ~」と小島よしお風に歌いながらチェックを終えました (^○^)
一旦チェックしたら、Tちゃんはもう二度と♯を落とすことはなく、指番号もきっちり守って、小気味よいほどの正確さで1stパートを弾くことができました。
「これならだいじょぶだ!じゃ、先生が2ndパートを弾くから、二人で連弾ね」
連弾するとき、1stパートの人は両手とも1オクターブ高く弾くこと、と本に指示があるので、Tちゃんは少し右にずれました。
「ペダル踏んだ方がきれいだよね。Tちゃん、左足でペダル踏んでくれる?もしイヤなら先生が踏むけど。だってホントは、ペダルは右足なんだからさ」
「うーん、がんばって踏んでみる」
Tちゃんが二人の代表でペダルを踏み、メロディーに続いて高い音でキラキラしたアルペジオを弾き、先生は 前半は和音での伴奏、後半はメロディーという構成です。
二人で弾くと、本当に美しい銀河の光が目に浮かぶような演奏になりました。
「きれいにできたねえ~♪」先生はうっとり。
「うん。でもさ、短冊が、赤とオレンジだけじゃさびしいね」
なんだ、もう挿絵に気持ちが飛んでたのか。
Tちゃんは、テキストに描かれた七夕飾りの笹の絵に、短冊が2枚しか描かれてないよ、というのです (^□^)
「ほんとだねえ・・・」
なるほど、大人には「すっきりシンプル」と見える絵であっても、子どものTちゃんには「もっとにぎやかならいいのに」と感じられるのでしょう。
そうなんだね。だって七夕なんだから、みんなの願い事をいっぱい吊さなきゃいけないよね。
「じゃ、あとでTちゃんが、ここにもっとたくさん短冊描けばいいじゃない?いろんな色の」
「水色とか黄色とか?」
「そう。水色とか黄色とか。願い事も書いて」
それで、Tちゃんは満足したようにニッコリしました。
まるで、もう 色とりどりの、何百枚という短冊が目の前に見えているかのように。
どの短冊にも、一枚一枚、みんなの夢や願い事が書かれているのです。
なんという素晴らしい眺めでしょうね。

今、ここまで書いて、私は「なんか、こういうシーンをどこかで見たような・・・」と思いました。そして思い出しました。
それは、サン・テグジュペリの童話「星の王子さま」の中の1シーン。
飛行機の操縦士と王子さまが、砂漠で初めて出会ったときに、王子さまは「ヒツジの絵をかいて」と頼むのです。
どんな絵を描いても満足しなかった王子さまが、最後に操縦士がヤケクソで「この中にヒツジがいるよ」と描いた ただの箱の絵を見て、「うん、こんなヒツジがほしかったんだ。あれ、もう寝ちゃったよ、このヒツジ」と満足する、あのシーンです。
実際に見えないものを見る力や、目にみえないものを信じる力。
それは、子どもならごく自然に持っている力です。
大人のあなたも、そんな幼い日の"心の目"を、もう一度思い出してみてごらんなさい。
世の中は、美しく楽しいもので満ちていることが実感できるはず。