三味線弾きの日常。

おもに津軽三味線弾き唄い。
ときどき地歌・上方唄。こっそり義太夫三味線。
三味の音を一人でも多くの人に届けたい。

DULL-COLORED POP「1961年:夜に昇る太陽」。

2019年09月03日 | 鑑賞
福島三部作。
やはり一つずつ書き残しておこうと思う。



第一部「1961年 夜に昇る太陽」の舞台は
原発が誘致される直前の福島県双葉町。
東京で物理学を学ぶ学生の孝は
東京で就職する決意を伝えるために実家に向かう列車の中で
「先生」と呼ばれる佐伯と出会い、言葉を交わす。
翌日の夜、佐伯は田中町長と福島県の職員とともに
孝の家を訪ねてくる。
彼は東電の社員で、双葉町に原発を作るため、
立ち退き交渉にやってきたのだった。

立ち退きにあたって
土地の買取と引越し費用として
相場の何倍もの高値が提示される。
それだけを見れば、札束で頬を叩くような行為だ。
けれど、その夜、そこに集まった人たちは
みんな、ただ未来を信じて、願っただけなのだ。
高度経済成長とは無縁の
貧しいままの町を、県を、もっと発展させたい、
そうすれば、出稼ぎで家族が離れ離れにならなくてもよくなる
(このときも孝の父は炭鉱労働で不在である)。
町長も、県の職員も、孝の祖父も母も、
その願いを原発に託したのだ。

そして、佐伯もまた、原発を信じていた。
広島出身で自身も被爆者であるからこそ、
原子力の平和利用を被爆国・日本が進めるべきだと強く信じていた。
そういう考え方で原発設置が進められていったことを
この間読んだ『線量計と機関銃』でも見たけれど、
劇中での佐伯の言葉には真実の迫力があった。
もっとも、佐伯個人の思いとは裏腹に
原発には軍事転用の意図が隠されていることも劇中で暗示されたが。

2011年の原発事故の後を生きる私たちからみれば、
原発が危険であることは分かっていたはずじゃないか、と思ってしまう。
でも、50年前の実際は、そんな簡単なことではなかったのだろうと思う。
町の未来を願った彼らの思いが、50年後に最悪の形で裏切られることになると
すでに知っている目で物語を見るのは、かなりつらかった。

といっても、シリアスなだけの作品ではなく、
孝の末弟・真やその友だちの子どもたちは人形で登場して
コミカルな動作で笑わせてくれるし、
人形を操作する役者が、早変わりで
町長になったり佐伯先生になったりするのが
丸見えなのも面白かった。
孝のお母さんも登場シーンからハイテンションで
ボケをかましたりしつつ、本当に子どもたちを愛しているのが伝わってきて
泣ける場面もありました。

そのなかで、印象に残った言葉は
「お前は反対しなかった」。
立ち退きに応じる決意をした孝の祖父が、
長男である孝に、それでいいか、と問う。
まだ学生で、また、家を出ていく決心をした孝は、
自分には決められないとしか答えられない。
その孝にむかって、祖父は繰り返し念を押す。
「お前は反対しなかった」と。
この言葉は、あらゆる場面で私たちにも向けられる言葉ではないか。
とくに、今のこの時代においては。

個人的には、三部作の中で、この第一部がいちばん好きです。



Shamisen + vocal 静月
▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫▪▫

►演奏予定
9月13日(金) 三味線三昧
9月21日(土) パナクティで聴く娘義太夫
 詳しくはこちら

►演奏依頼 承ります
 ステージイベント、パーティ、ブライダル、レクチャーコンサート、
 ワークショップなど、三味線出張演奏いたします。
 小さな会場でも、ご予算が少なくても大丈夫。
 ブッキングライブ、コラボレーションなども歓迎。
 こちらからお問い合わせください

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« DULL-COLORED POP「福島三部... | トップ | DULL-COLORED POP「1986年:... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

鑑賞」カテゴリの最新記事