楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

「中山道」と中仙道」(旧中山道を歩いて気づいた事1)

2013年01月01日 10時14分04秒 | つれづれなるままに考えること


(中山道と中仙道)
古来より、中山道は中仙道と二つの表示がある。
これが「中山道」に決められたいきさつが記された資料を
蕨市歴史民族資料館で見つけた。

「中山道と中仙道」江戸時代の出版物を見ていくと
「中山道」と記されたものと「中仙道」と記されたものがあります。
どちらが正しいでしょうか?
 正徳6年(1716)4月のお触書によると、
「只今までは「仙」之字書候得ども、向後は「山」の字書可申事」
(今までは「仙」の字を書いていたが、
今後は「山」の字を書くようにすること)とあり、
「中山道」と書くよう決められています。

また、同じ御触書に、奥州・日光・甲州道中ついて、
「これは海端を通り不申候間 海道とは申し間敷候」
(これは海の端を通らないから、海道とは申しません)
とあり、奥州・日光・甲州街道でなく、奥州・日光・甲州道中
と呼ぶのが正しいことがわかります。
とある。

東海道は海の端を歩くから東海道で、中山道は山の中を
歩くから中山道。とても解りやすい。

(宿場について)
宿場は旅人の休泊のための旅籠や、大名・公家など身分の高い
人々の宿泊設備である本陣・脇本陣があった。
加えて問屋場、高札場が設けられていたのが標準のようだ。
また、宿場間の旅人と荷物を輸送する事務を執り行う
問屋・年寄り・帳付け・馬指し・人足指しなどの宿役人がいた。

こうしたさまざまな人たちの生活に必要な商売屋も
軒を連ねて繁盛したといわれる。



Potora!  NTTグループ運営!