表題の俳句を校正して、
「なにつばむ 枯れ葉のなかを シジュウカラ」にした。
散歩の途中、森の中で見つけたシジュウカラの様子を、
さっと思いついてボクが作った俳句。
最初は、
「なにつばむ 枯れはのなかに シジュウカラ」であったものを、
「に」を「を」に替えただけだ。
これで如何のように変ったかといえば、
「に」の場合は、
シジュウカラがうずくまっているように感じるが、
「を」にすると、
シジュウカラが餌を求めて歩き回っているように感じる。
日本語は難しい、たった一字でこのように変わる。
短い文章の難しさだ。
話が変わる。
今日散歩中に、餌を求めて道路を歩く鳩を見た。
ボクが20cmほどの所を歩いても、鳩は飛び立つでもなく、
ゆうゆうと餌探しをしている。
そこへタクシーが通りかかり、ボクは道路脇に身を寄せたが、
鳩は全く動こうとしなかった。
危うくタクシーにひかれそうになったのを見て、
50年も昔の学生時代を思い出した。
外国人の教師が、日本語を研究していて、
その時は話術についての講義を聴いた。
教師は日本語が思うように話せなくて、
授業は全て英語であった。
当時、日本語の話術の第一人者は、徳川夢声氏であったが、
その徳川夢声の研究をされていた。
徳川夢声の話術の根幹は、
おしゃべりの中の「間」にあるという内容であったように思う。
最初の授業の時「space」と言うので何のことかと思っていたら、
和訳すると「間/ま」の事であった。
「間」を上手に取り入れ、話を構成して行く、これが話術だ。
ボク達、当時の若者は「space」と言うと、
「宇宙、空間」の和訳を思い出すので、
戸惑った事があった。
この徳川夢声を知るために、
夢声が書いたフランス旅行記を読んだ。
夢声さんは、その昔、活動弁士であったことがある。
活動弁士とは今では死語となり、
聴きなれない言葉になったと思う。
その昔、映画の事を活動写真といっていた時代がある。
初期の映画は、連続せる写真をパラパラめくったようなものであったので、
動く写真⇒活動写真と言った。
勿論、BGMも音もなく言葉もないので、
舞台の隅に弁士(おしゃべりをする人)がいて、
観衆に向って状況を映像に合わせてお話をする。
ラブシーンなんかがあると、
「私あなたが好きであります」とか、
有名なのが金色夜叉の、
「みやさん、来年の、今月今夜のこの月を涙で曇らせて見せます。」
など、舞台の袖で、しゃべったものらしい。
今考えると馬鹿げた話ではある。
映像も1秒間に何コマあったのか知らないが、
ギクシャクした映像であったと明治生まれの母が話していた。
今やボクが撮るビデオでさえ、
1秒間に60コマの画像を送るので、
人の動作など非常に滑らかであるが、
当時の映画を見ると、きっと当たり前の事がボク達には
おかしくておかしくてたまらないに違いない。
その徳川夢声が書いたフランス旅行記の中に、
パリはすこぶる車が多く、速いスピードで走るから、
鳩さえ車に轢かれてしまう。
と言うくだりがあった。
学生時代、車がどんなに早くても、
鳩が轢かれるほどではないだろう、と思ったものだ。
車が来る前に、鳩は飛び立つのが当たり前で、
轢かれるほどフランスの鳩は鈍感ではないだろうと思っていた。
自分で車を運転するようになって、
鳩が道路にいるとき、轢いてみようと、
一瞬、スピードを上げてみるが、
未だに轢いた事はない。
しかし、今朝の散歩中に見た限りでは、
鳩の横10cmもないところをタクシーが通り抜けたが、
鳩はびくともしない。
もしあと10cmタクシーが鳩側によっていたら、
鳩は轢かれたように思われる。
徳川夢声がフランスで見た、轢かれた鳩は、
餌探しに夢中になっていて、
車に引かれたに違いない。
車が早いわけでなく、
鳩が本能で餌探しに夢中になっていた結果であろうと、
今朝、50年ぶりにやっと結論付けた。
長い間しこりとなって残っていた疑問を、
今朝解決することが出来るとは、思いもよらなかった。
人生、いつ、何処で、何があるか解からない、
明日のことは何も判らないが、
疑問に持ったことを、
少しずつ解決していく事が出来るに違いない。
「楽しんでこそ人生」である、
明日を期待して生き永らえようと思う。