楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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お手洗い

2018年09月06日 04時50分40秒 | つれづれなるままに考えること
小学校二年生の時、田舎に疎開した。

父の実家で、父の長兄の家族がが住んでいた。

ぐるりと山に囲まれた農家で、なんでも400年以上続く家だそうだ。

そんな家だから、お手洗いは肥溜めの上に二枚の分厚い板が置いてあって、

その板の上に片足づつ載せて用を足す。

肥溜めは二個が、一つの屋根の中にあって、一つが満杯になると、

次の肥溜めへ移る。肥溜めは大きな甕で土中に埋め込んである。

板の上にしゃがみ込んで用を足す状態の目線にのぞき窓が付いており、

用を足している最中に、別の人が用足しに来ると、外から顔が見えるのぞき窓から、

大きな声で「入っています」と声をかける。


人糞には栄養があるのか、夏場はハエがたかって卵を産み付ける。

卵がかえってウジ虫が沢山うようよしており、

堅い便を落とすと「ポットン」と落ちて、

はね返りがお尻に届きそうで、難渋することもある。

それで水洗でないトイレのことを「ポットントイレ」と呼ぶ。


戦前は何処も人糞は野菜その他の肥料に欠かせないものであった。

おじさんの家には土間に牛が飼われており、敷き詰められた藁の上で牛は生活していた。

生活すると言うことは、、飼葉(餌のこと)は首を出して食べるが、

排泄物はその藁の上に落とす。

その藁を毎日取り換えてやり、庭の片隅に積み上げて堆肥(たい肥)を作り、

これも麦の肥料にしていた。

冬場は麦踏をするが、牛糞の藁と共に麦踏をするのだ。

東京でも西武鉄道線や東武鉄道東上線などは、広い関東平野に人糞の肥料を運ぶ列車でもあった。


また別の話で、神代からの「中国の歴史」に依れば、

中国ではトイレ掃除の刑と言うものがある。

主に政治犯が携わるようであるが、鼻と耳を削がれ、足を膝から切り落とされ、

うごめくようにトイレに居座り、肥溜めの様なトイレに居て、

貴人が用をすますと掃除をして日を送ると言う刑罰のようだ。


(変な想像であるが、貴人のお尻などは丸見えで、

その様子が解ると言うのも、なんだか可笑しい。)


貴人と言えば、徳川家茂に嫁いだ仁孝 天皇の妹君の皇女和宮は、

京都から江戸に下るのに25日掛かっているが、

和宮がお泊りになる宿場は、用意が大変であったようだ。

そんな準備の様子が、お泊りになる本陣に記録が残って居る。

お手洗いの改造はイの一番に取り掛かったようである。









コメント (7)
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