楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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ねむの花

2018年09月17日 03時03分53秒 | つれづれなるままに考えること
午後4時ころに葉が閉じて、朝になると葉が開くので「ねむの木」と言う。

松尾芭蕉が、秋田県の南端にある象潟町で詠んだ、

・象潟(きさがた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花

の俳句がある。

象潟は秋田県にかほ市(仁賀保町と象潟町その他が合併してできた)市である。

もともと、象潟は、鳥海山が噴火し、

発生した大規模な山体崩壊による流れ山が日本海に流れ込み、

浅い海と多くの小さな島々ができあがった。

やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって仕切られて潟湖ができた。

そして小さな島々には松が生い茂り、風光明媚な象潟の地形ができあがった。

古の時代より九十九島・八十八潟が景勝地、歌枕の地として知られ、

古今和歌集や新古今和歌集などにも当地を詠んだ歌がある。

江戸時代には「東の松島 西の象潟」と呼ばれ、

松尾芭蕉の『奥の細道』(1689年)でも 上記の俳句が読まれている。

後に、文化元年(1804年)の象潟地震で海底が隆起し、陸地化した。

その後、本荘藩の干拓事業による水田開発に飲まれ、

歴史的な景勝地は消されようとしていたが、

当時の蚶満寺の住職・二十四世全栄覚林の機転や命懸けの呼びかけによって、

後に保存運動が高まり、今日に見られる景勝地の姿となった。(Wikipediaより)


西施は中国の代表的な美人、中国の春秋時代に

呉王范蠡(はんれい)が越王夫差に献上した美人。

呉王范蠡の策略で越王夫差は、この美人の西施に夢中になり、

越国は呉王范蠡に滅ぼされた。

滅ぼす手はずを整えたのが美人西施であったと言う。(Wikipediaより)



また、ねぶの花はねむの花の事で、冒頭に説明した木の花で、

6月終わりころから7月にかけて咲く花で、9月に咲くのは珍しい。

形が頬紅を付けるとき使う刷毛に似た花。

説明より百聞は一見に如かずで、写真をご覧あれ。

(ねむの木)


(ねむの花1)


(ねむの花拡大)


この写真をご覧になり、象潟が仙台の松島に似た景色であること、

そして西施の美人顔を想い、ねむの花を見ながら鑑賞していただくと、

芭蕉の俳句が解るように思います。

・象潟や 雨に西施が ねぶの花   芭蕉


コメント (6)
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