楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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万年橋~永代橋(忠臣蔵を歩く 3)

2013年12月19日 09時04分55秒 | ひとり歩き旅
(万年橋)


(江島杉山神社~永代橋~霊岸橋まで)
江島杉山神社を出て、道路を進むと(新大橋二丁目)の信号に出る。
道路の右を見ると、隅田川に架かる新大橋が見える。
(新大橋二丁目信号)

(新大橋が見える)


この信号を突ききって進むと道路に「万年橋通り」右矢印がある案内がある。
先に進むと万年橋を渡るのだろうと推測しながら歩く。
その横に
・ 旧芭蕉庵跡
・ 芭蕉庵史跡展望庭園
・ 芭蕉記念館分館
・ 芭蕉記念館
の案内があり、この万年橋通りに芭蕉関係の史跡が並んでいる。
(万年橋通りの看板)

(万年橋通り)

(芭蕉記念館など案内看板)

すこしすると右手に、
「江東区芭蕉記念館」の大きな案内看板があり、
その横に桧皮葺の屋根を持つ、記念館入口がある。
以前一度来たことがある記念館、
新しいものが展示されているかもしれないと入場する。
記念館の中に入ると、すぐ右手に
・ 草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家
の有名な芭蕉句碑がある。

(江東区芭蕉記念館)

(芭蕉記念館)

(桧皮葺の芭蕉記念館入り口)

(入り口にかかる記念館の文字)

(草の戸も・・・の句碑)

入館料を払って中に入り、二階に上がると、
以前と同じような展示物で、
芭蕉の真蹟になる、俳句などが展示してある。
前回見落としたものに、福井県の色の浜で、
芭蕉が拾ってみたかった「ますほの小貝」が展示されていた。
小粒の白い巻貝を確認できたのは収穫であった。
(館内撮影禁止で芭蕉真蹟や「ますほの小貝」の写真は撮れなかった)

記念館を出て、その先左手奥に、
お稲荷さんの赤いのぼり旗がひらめいている所が、
芭蕉稲荷神社兼芭蕉庵史跡である。
芭蕉庵は洪水で流された後、この場所で石造りの蛙が見つかって、
今は芭蕉記念館に展示してある。

(芭蕉稲荷の芭蕉庵史跡)

(石造りの蛙)

その先にこの通りの名前の万年橋が小名木川をまたいでいる。
橋を渡る前に右手の川べりを階段で少し上ると、
先ほど案内にあった「芭蕉庵史跡庭園」がある。
小名木川が隅田川に流れ込む角にこの史跡庭園はあり、
どこを見ているのか、正座している芭蕉像があり、
その先に清洲橋が架かっているのが見える。
芭蕉像の後には、翁の名前になった芭蕉の木が葉を繁らせている。
(芭蕉庵史跡へ上る階段)

(芭蕉庵史跡庭園の芭蕉像)

(芭蕉の名がついた芭蕉の植木)

万年橋を渡り、清洲橋通りまで進む。
信号で清洲橋通りを右折するが、
目の前の清洲橋は渡らずに隅田川沿いに左へ行く。
しばらくはてくてく歩くが、途中左手に、
「平賀源内電気実験の地」という石柱が見える。
やがて首都高速道路の下をくぐり、永代橋たもとに出るが、
道路の向こう側に行きたくて横断歩道がないかと、
眺め渡すも見当たらず、悩んでいると、
橋の下から人が上がってきた。

(清洲橋通りを右折)

(清洲橋たもとを左折)

(平賀源内実験跡の碑)


橋の上で横断することばかり考えていたが、
橋の下をくぐることを考えれば良かったのだ。
隅田川の両側にテラスが設けてあって、散歩できるというか、
以前はホームレスがブルーシートで住まいを作っていた所を、
歩いて橋の下を歩けばよいことが解かった。
(永代橋)

(永代橋の案内)

(隅田川沿いのテラスで永代橋の下をくぐる)


難なく橋の下を横断して、向こう側に出る。
永代橋の中ほどの左側に、背の高いビルが林立している。
果たして何処だろうと家に帰って調べたら、
昔、佃煮を作って有名な佃島であることが解かった。
(林立したビルがある佃島)

永代橋を渡って、直進するまもなく霊岸橋があるはずだ。
今歩いて居る左側が、おそらく霊岸島であろう。
この当りの地理を、自慢ではないがボクは全く疎い。
永代橋の中ほどからとった写真を見ると、
川は左右に流れて、中央にビルが建つ島があるように見える。
これだけ見ていると、ニューヨークのビル群に引けをとらない。

なお直進すると新川一丁目の信号を過ぎて、さらに進むと霊岸橋に出る。

(ニューヨークと引けをとらないビル群)

(新川一丁目の信号)

(霊岸橋)
コメント (12)    この記事についてブログを書く
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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
iinaさん コメントありがとうございます (hide-san)
2017-09-07 19:33:36
2013年ころのブログを見ると、ずいぶん頑張っている自分を発見します。

この忠臣蔵で芭蕉案史跡を見て、
ボクの中では奥の細道へつながったと思っています。
返信する
 (hide-san) さん へ (もののはじめのiina)
2017-09-07 08:45:07
「恐竜」で (hide-san)ブログ内を検索したところ見当たらずに、「巻貝」にてヒットしました。
それが、芭蕉記念館であったとは「愉快」(ゆ貝)でした。(hide-san)さんには、そこまで「ゆーかい」(言うかい)といわれかねません。


> 化石の収集に凝り、ヤナギの葉やビカリヤ(巻貝の一種)などの、完全な形をしたものを探しまわった経験があります。
恐竜に関心を高めた (hide-san)中学生だったのですね。

いまでは、化石をビル内の天然壁を よ~く探すと見つけることができますょ。

いままでに、いろんな「恐竜博」を見物しましたが、岩盤に封じ込められたブラック・ビューティが一番すばらしかったです。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/
e/5aadf6960bf59bcc14a08039f4a589dc
* 2段に分けないと投稿を拒否されます。 m(_ _)m


返信する
yukiusagiさん コメント有難うございます。 (hide-san)
2013-12-26 11:34:45
この辺は、解かり難い場所です。
永代橋を渡って都心に入っていくと、東京駅です。
浅草はそれほど遠くありませんが、
清洲橋、両国橋、厩橋、駒形橋まで行きます。
台東区浅草で隣の区です。
返信する
鉄ちゃん爺やさん コメント有難うございました。 (hide-san)
2013-12-26 11:25:25
ビルゴンなある場所を家に帰ってから調べましたら、
佃島でした。
返信する
TAKAOSANさん コメント有難うございます。 (hide-san)
2013-12-26 11:23:00
場所が小名木川と隅田川の交差する角に芭蕉庭園があるので、
通りからは見ることができず、見落とされる方が多いですね。
返信する
水上バスで (yukiusagi)
2013-12-24 08:05:35
hideさん お早う御座います。

浅草から直ぐ近くの場所のように感じますが、
田舎ものは歩きませんから、
間違っていたらごめんなさい。

雪も沖縄の人もビックリしていたことを思い出しました。
雪に埋もれるような雪にはならないで欲しいものです。

いつも ありがとう御座いますヾ(*^▽^*)〃
返信する
大阪は晴れていますよ~♪ (鉄ちゃん爺や )
2013-12-23 10:04:23
永代橋から対岸の高層ビルを1~2度だけ都営バスの中から見ましたね。

テレビにも時々ですがこの風景は見かけますかな。

地下鉄の東西線では景色が見えないので都営バスに気分転換で乗ったような記憶。

返信する
芭蕉さん (TAKAOSAN)
2013-12-22 15:19:46
こんにちは。
こんなところに座っておられたのですね。
知りませんでした。
結構、通ったことがあったと思うのですけどね。
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abms4144さん コメント有難うございます。 (hide-san)
2013-12-21 11:13:53
東京という日本の首都に住んで、
思わぬ場所を訪れることがあり、
新しい発見(=経験)の連続ですね。
忠臣蔵の凱旋記録にある道を忘れそうです。
返信する
ytakei4さん コメント有難うございます。 (hide-san)
2013-12-21 11:09:32
まさか、また、芭蕉記念館前を通るとは思いもよりませんでした。
歩いた距離は、記憶では1000km強でしょうか。
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hide-san 様 (abms4144)
2013-12-20 09:46:05
過日読んでいた古本の「現代にも残すべき言葉」の中でも
芭蕉が取り上げられていますね。そして彼の俳句は別格と
 
平凡と思われる文言の中にも人知れない魅力が
奥の細道の定稿を得るまでに5年も推敲があったとか~。
言葉の奥行きの深さ~

そのような豊穣な言葉に触れることの出来るhide-san様は
贅沢なときをもつことができますね。
返信する
こんにちは (ytakei4)
2013-12-19 11:11:39
芭蕉ですか~奥の細道も歩かれましたね~
そうとう歩かれたのでは?まめですね~
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