東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

御所ガ原物語の資料調べ。

2013年01月10日 16時34分25秒 | 日記
 白峰図書館の白峰村史を全巻拝読する事が出来なかったので詳細は把握出来ていませんが、
白峰村史でいう越前側と白峰村には、数多くの峠があって 人々が互いに行き来していたものと 思われます。
何時の頃から、加賀と越前に分けられて終ったのか分かりません元は同じく越前の国であったのではと思われます。
峠にはそれぞれ道の守護神として地蔵が祀られていたと記されています。
◎中野俣峠の地蔵。五十谷から越前中野俣に至る峠にある。
◎スゲヤケ峠の地蔵。五十谷より越前越えの峠にある。
◎藤巻峠の地蔵。旧の谷峠の方から太田谷へ通ずる峠にある。
◎旧谷峠の地蔵。今勝山に通ずる国道の谷隋道入り口近くの岩壁内に二体を安置する。ここから東方一キロの山上にある旧道谷峠に祀られていたもの。隋道貫通の翌年昭和24年3月に移転したものである。石の立像で一体は正徳3年、一体は文化13年のもの。越前側と白峰側が一体ずつこしらえ、管理は越前の谷があたり、堂宇も越前の方に向かっていたという、明治以降は白峰側の所管となった。
谷〔たん〕の神様とよばれ、勝山往来の人々は、ここで休憩して道中の安泰を念じたものであつた。白峰にある峠の地蔵中もっとも親しまれたもの。
◎旧木坂の入り口にあった細谷の地蔵。もと旧道谷峠下の木坂の入り口にあつたもので、今は谷峠の地蔵の左方に安置せられる。木坂は割り木を敷いた板道で、登りつめれば谷峠だつた。この付近の谷は細いので細谷ともよばれたものであった。
◎印のところは白峰村史に記載されていたものです。その他谷峠にあった「いうない地蔵」も谷隋道石川県側に安されています。
 昨年は東山いこいの森での外仕事が多くて、資料集めが出来ませんでした。
年が明けてから ようやく動き出しましたが間に遭いません。
写真の勝山町から後の村名の中には牛首、をはじめ今は石川県になっている村々が越前の国の中に記されています。





























しかし、峠道だけとり上げてみても先人たちが 往来した姿が思い浮かぶ様で感概無量のものがあります。
谷峠や木坂は小中学校の時学校行事で子供たちだけで 蕗採りに行って谷川でイワナを手掴みしたりしたものです。
谷峠の道は是非復活させたいものです。