東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

谷の村の字(あざ)数。

2023年06月07日 17時41分45秒 | 日記

勝山市史に記載されている谷村の字(あざ)名は168か所。
左は御所ケ原と東山地区。
御所ケ原は1から13まで、下御所原が1から3までまとめたアザ名になっている。
ちなみに源野家は本家の我が家を含めて3戸あったが
戸籍謄本同じ番地になっている。

左側上の方「上ケ原」(あげはら)と読む。
このさらに上に奥の河内があって10戸程度の屋敷跡が確認された。
これらは全て白峰から峠を越えて移り住んだ出作りの子孫。
 炭焼き、焼き畑、ワサビ、蚕などで生計をたてていたと思われる。
江戸時代の後半からでお寺は白峰のにあるお寺。谷門徒ではない。
蛇麻目(じゃまめ)呼び方は知っていたが漢字で表すとよくわかる。
薬下(やくした)。小玉(こだま)「こ」のアクセントを強く言うのが
昔からの云い方。室目(もろめ)。市郎兵衛(いちろべ)という屋号もある。
助佐(すけざ)の屋号もある。釜屋(かまや)もある。
谷の(あざ)名の由来を解き明かしていくのも面白そう。

豊田自動織機OBの宮田さんに頂いた、
戦前の地図に道、川、家の場所などを書き入れて
様子を分かりやすくしたいと思っている。
こんな事をやっていると時間が足りないがボケ防止には
なるでしょう。

瀬田高から同窓会誌が届いた。
行けない分又少し送っておこうと思う。
明日からの雨の兆しか太陽の暈。

伊良神社鳥居寄贈者

2023年06月07日 10時40分22秒 | 日記

伊良神社鳥居の寄贈者は村内松村政吉氏と村内妹西野とま氏。
鳥居を寄贈するにはそれだけの財力と村人が認める
有力者でなければ出来ません。
          石工 岡崎 今井新
石区 岡崎 今井新太郎氏 
昭和二年。と読み取れる。
松村氏の屋敷のあった所は先輩に聞いた所
小倉家や山内欣也君の屋敷跡の広場に
何戸か屋敷があってその中に松村家もあったのではと云われた。
写真では黒く影になってしまったが谷の村としては平地に
なっていた所です。

昨日の大ケヤキから登って来て見えた谷の村
子供の頃には幾つもの家並みが見えました。
右は石畳の道を見下ろしたものです。

マクロレンズでオートだと蜘蛛の巣を透かしてピントが出るので
マニアルで合わせてみましたが老眼の分ダメでした。
      
社協の弁当今朝気が付きました。
昼ご飯で頂きます。
      
ヤマナシ。東山いこいの森は沢山ありました。
その時期にキャンプに来られた人には説明して
1.2個味わってもらっていました。
グミは東山いこいの森には無かった。
我が家のものです。これから大きく赤く熟れて行きます。
東山いこいの森のショックは尾を引く事と思いますが
思い出や近況など発信して行きたいと思っています。