小川塚西古墳、サシコマ古墳などを眺めつつ田園地帯を歩いていくと、今度は同じく水田の中に巻野内石塚古墳の姿が見える。
この古墳については、これまで見てきた小古墳とは違って、古墳時代後期の古墳ではなく、3世紀内の築造の可能性も取り沙汰されている古墳である。
後世の改変もあるが、確かに見る方向によっては、円墳ではなく前方後円墳にも見える。
また、この古墳の周囲を固めている石垣についても、葺石を転用した可能性があるそうだ。そう考えると近年の墳丘の修理で、一部コンクリートで固められてしまったのは惜しい。
ただ、この巻野内石塚古墳についても測量調査ぐらいしかされていない。先の石垣の例もあるので、一定発掘調査などをして、史跡としての評価をしたのち、文化財として保護していくことを検討していかないといけないのではないだろうか。
文化財行政に、あんまり予算がつかないのはわかるのだけど。
巻野内石塚古墳を過ぎて、振り返るとうまい具合に箸墓古墳と重なって写すことができた。
たぶん、こっちの方向が前方部であろう。(Googleマップを見ると田んぼの畝に前方部の形が残っているように見える。)
そして、今までであれば、この後は、珠城山古墳群を訪ねるのだが、まだ、午前9時だというのにかなり気温が上昇してきている。
最終の目的地は、行燈山古墳(崇神天皇陵)なので、先を急ぐことにする。
まずは、渋谷向山古墳(景行天皇陵)をめざす。
この後は、巻野内の集落を抜けて、一旦国道169号線に戻ることにする。
国道169号線を北に向かって上っていくと、小西勇製麺所という三輪そうめんの製麺と販売をしている所があった。食べることもできるようではあったが、時刻は、まだ、朝の9時をすぎたところ、残念ながら開いていなかった。
製麺所の出入り口のところに「纏向遺跡イエツラ地区」と書かれた小さな説明板があった。
纏向遺跡第50次調査で見つかった3世紀末~4世紀初めの建物、導水施設と考えられる遺跡がここから見つかっているそうだ。
浄水を集めた祭祀施設ではないかと考えられている。
ここから国道に沿って5分ほど歩くと、渋谷向山古墳に到着。心持ち、廻るよりも土地が高くなっている気がした。
柳本古墳群の中で一番大きい前方後円形の古墳である。この後は、ぐるりと一周してみよう。
モノクロ写真で撮ると、また違った感じが出ますねえ。
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