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益田岩船から令和の古墳として有名になった牽牛子塚古墳に抜ける道、はじめは竹林を、次第に雑木林の中を歩くようになった。思ったよりも山深い道で、倒木などもあり、あまり使われていない道なのかもしれない。2、30分ほど歩くと、イノシシよけのゲートがあり、それをくぐるとちょうど牽牛子塚古墳の裏側に出た。
ピカピカのピラミッドのような牽牛子塚古墳を横目に、与楽カンジョ古墳をめざして歩く。途中、沼山古墳やこれから向かう与楽カンジョ古墳同様に、ドーム状の天井の高い大きな横穴式石室を持つ真弓鑵子塚古墳がある。
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ここも入れないはずなので、素通りする。
この辺りは、田園風景の中を歩いて、いかにも飛鳥らしい雰囲気がまだ残っている。西飛鳥のこうした風景はいつまでも残って欲しいと思う。
真弓鑵子塚古墳から、車道に出る。この道は飛鳥から御所の方に抜ける道で、最近になって、農協の施設が出来ている。ちょうどトイレ休憩にいいかもしれない(笑)
この道の両側には、遺跡地図を見ると、道路に突き出した丘陵の尾根という尾根に古墳の所在を示すマークがある。小さい古墳が多いので、あまり気にも留められていないという感じかな。
しばらく歩くと三叉路の北側に、小さいピラミッドのような形に復元された与楽カンジョ古墳の姿が視界に入る。へっ、???
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これは一体どうしたことだ。以前、来たときはこんな姿ではなかった。確かに墳丘の崩落が始まっていてビニールシートをかぶせてはあったが、まさかこんなピラミッドのような形になるとは・・・。確かに方墳で二段築造ではあるのだが・・・。どうも、牽牛子塚古墳と同様の復元をめざしているのだろうか。
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墳丘の前に、重機が置かれているので、まだ工事中であるようだ。
さらに石室の開口部の前に行くと、驚きの光景が、なんとコンクリートで羨道の部分が塗り固められているではないか。ナンタルチアサンタルチア。ギョギョギョである。
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まさかこんなセンスもへったくれもないあられもない姿になっていようとは、神も仏もあったもんじゃない。奈良の古墳の復元は、平野塚穴山古墳などと同様にどうもコンクリートで羨道を固めるのがトレンドであるようだ。
コンクリート造りの羨道を通って、玄室へ、ただ玄門の所にきれいに柵がはめ込まれているので、柵越しにしか見えない。
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カンジョ古墳は、両袖式の横穴式石室を持つ一辺36mの方墳で、築造は7世紀の前半とされる。石室の長さは11.6m、沼山古墳と比較すると使用されている石がかなり大きくなっている。
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側壁などは、持ち送りになっており、天井は、かなり狭くなっており、天井石は一石となっている。ちなみに石室の天井までの高さは、5.3mほどとなっており、奈良県で一番高いらしい。
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また、玄室内は礫がしかれ、中央には棺台が置かれている。この棺台が残っている古墳は非常に珍しい。
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この古墳の被葬者も、ミニチュアの竈などの副葬品から沼山古墳、真弓鑵子塚古墳に被葬者と同様に渡来系の豪族が埋葬されていたと考えられている。この辺りの古墳の特徴と言える。
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この与楽カンジョ古墳のさらに北奥に、与楽鑵子塚古墳がある。
墳丘は、藪になっていて近づくことができないようになっている。以前は、横穴式式室が開口していたそうだが、現在は土嚢が積まれて閉じられたままである。
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この古墳も、ドーム状の天井の高い横穴式石室を持っているらしい。また、最近、石室内の黒く焦げた痕跡について、石室内で木棺を火葬した、石室内火葬によるものとという新聞報道があった。石室内火葬はこれまで国内で7件見つかっており、与楽鑵子塚古墳がその第1号の可能性もあるようだ。
ちなみに築造は6世紀後半であるとのこと。
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与楽カンジョ古墳から与楽鑵子塚古墳、これから行く寺崎白壁塚古墳のある辺りの風景がいかにも里山という雰囲気で、お気に入りの場所ではあった。生まれて初めて野生の雉を見たのもここである。
この後、与楽鑵子塚古墳を裾を通って寺崎白壁塚古墳に向かうのだが、さらに衝撃的な光景が・・・。(続く)
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