今回も、学生時代のサークルの集まりがあり、京都へ。集合時間まで間があることから、ぶらりと京都散策ということで、京福電車を途中下車し、花園界隈を歩いてみた。常盤(ときわ)駅から丸太町通を東へ向かってJR花園駅に向かう途中に、法金剛院という小さなお寺がある。
待賢門院藤原璋子ゆかりの寺院ということで、ちょっと入ってみることにした。お寺に入ると、目の前に、平安時代に作られたという池泉式浄土式庭園が広がる。この庭園は、平安時代に作られたものを、昭和になって発掘して復元したものであり、平安時代のものがそのまま残っているものではない。しかしながら、この新緑のこと、緑が映えてなかなか見ごたえのある景色であった。
庭園の池には、ハスが所狭しとたくさん生えており、もう少し時期が後になれば、蓮の花がきれいなのかもしれない。ちょうど僕が訪れた時は、境内のつつじが満開であった。僕は、花の名前とかは全く知らないのだが、ちょっとでも花の名前やそれにまつわる話などを知っていれば、まちを歩くのももっと楽しくなるかもしれないと最近思ったりしている。
境内の北の隅に、青女の滝がある。これも、平安時代に作られたものがそのまま発掘されたものであり、日本最古の人工の滝の石組みが残っているということで、国の特別名勝に指定されている。
この滝も待賢門院がつくらせたものであるという。
また、青女の滝のそばに、百人一首で知られる待賢門院堀河の歌碑が立っている。
そして歌碑には、百人一首に収録されている「ながからん心もしらずくろかみのみだれてけさは物をこそおもへ」という和歌が刻まれている。男女の仲は深いねえ。ほんと難しい。
待賢門院堀河も康治元年(1142年)に待賢門院の落飾と合わせて、この法金剛院で出家している。
本堂は、江戸時代の再建。ご本尊の阿弥陀如来は、本堂の後ろの宝物館で見ることができる。
本尊の阿弥陀如来坐像は、院政期の作。柔和な顔立ちが定朝様を表している。またその横に、十一面観音の坐像がある。十一面観音の坐像というのは珍しいような気がする。この坐像は、鎌倉時代の作のようだ。厨子も絵が鮮やかできれいだ。
法金剛院の前身は、清原夏野の別荘を、死後、双丘寺として整備したのに始まる。その後いったん衰徴していったが、院政期に入り、待賢門院藤原璋子により再興がなされた。青女の滝や浄土式庭園はこのころ作られたものである。
花園という地名も、この法金剛院とかかわりがある。清原夏野の別荘を、珍しい草花を植えていたことから、花園と呼ばれたらしい。
法金剛院を再興した待賢門院の墓所があるという。その足で探してみることにした。
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