休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

北大阪の古墳① ~将軍山第1地点遺跡・真龍寺古墳~

2021-08-29 23:50:06 | 史跡を歩く

 ある日友人から、茨木市の追手門学院大学内の古墳を見に行かないかというメールをいただき、平日に有休をとって見学にでかめることになった。

 追手門学院大学については、これまで全くご縁がなかったので、ほとんど情報がなく、確か芥川賞作家の宮本輝の母校ではなかったかという記憶しかない。確か、私の学生の頃、テレビドラマで「青が散る」が放映されていた記憶がある。読んだことがあるのは「泥の河」「蛍川」「道頓堀川」の川三部作と呼ばれるものぐらい。でも「泥の河」の映画は、モノクロで製作されていて印象的であった。

 話が脱線してしまった。大学に行ってみるときれいに整備された広いキャンパスにびっくり。わが母校とは全然違うわ。

 友人と大学の事務室に行くと、事務室の方が親切にも案内役を務めていただけることになった。たかが一介の古墳マニアにお付き合いいただいて恐縮な限りである。

 事務室を出て、グラウンドと駐車場の横に森になっている小さな丘がある。これが、将軍山第1地点遺跡、別名月見山古墳である。

 

 丘の中に入るには、写真のような階段を上がっていくことになる。事務員の方に階段のフェンスの鍵を開けていただいて、いざ、遺跡へGO!

 

 雑木林の中を抜けると丸く柵に囲まれた場所があった。これが将軍山第1地点遺跡である。古墳?と思って聞いてみると、弥生時代の壺棺墓だそうで、この地点で出土した壺棺を復元したものであるとのこと。月見山古墳というのは、もともとこの場所に前方後円墳ではないだろうかと想像される地形であったため、月見山古墳と呼ばれていたようだ。ちょっと風流なめいしょうではありますな。

 その後発掘調査が行われ、古墳ではなく、弥生時代後期のものと思われる壺棺や壺棺を収めたと考えられる粘土を敷き詰めた痕跡などが検出され、将軍山第1地点遺跡と呼ばれているそうだ。

 

 ちょっと離れてみると確かに前方後円墳のように見えるんだなあ。

 

 この壺棺が、出土したものを元に復元したもの。ちなみにこの遺跡では3個以上墳墓があったと考えられている。

 さらに、この将軍山第1地点遺跡と駐車場を挟んで向かいがわに真龍寺古墳があり、そこも案内していただいた。

 

 ここは、フェンスの鍵を開けていただいて、少し山の中に入っていく感じである。

 

 雑木林の向こうに何やら囲いのようなものが見える。

 さては、これが真龍寺古墳だな。

 

 囲いの中は、横穴式石室が見える。天井石が一部落ち込んでしまっている。

 草がぼうぼうでかなり石室の中が見にくい。石室の中に石が落ち込んでいるのは、大阪北部地震の影響だそうで、修復したいのだが、重機を入れないといけないので手付かずになっているとのこと。

 

 古墳は、推定で直径約22メートルの円墳で、両袖式の石室を持っており、石室については、羨道部と玄室の南側の一部の天井石が抜き取られた状態である。一つ一つの石はそんなに大きくはない。玄室は長さ4.5m、幅1.7mを測る。

 

 築造は、6世紀後半と考えられており、古墳からは、須恵器杯身・杯蓋、高杯、はそう、提瓶などが出土している。

 なお、これらの出土品については、追手門学院大学の将軍山会館で展示されている。(ここでも丁寧に説明をしていただいた。)

 これらの古墳を見学をさせていただいた後、事務の方にお礼をいって、次は追手門学院大学の敷地に隣接する将軍塚古墳などを訪ねることにした。

 


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