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大阪内環状線と阪和自動車道が交わるところに黒姫山古墳がある。大阪で著名な百舌鳥古墳群や古市古墳群の間に位置しており、両古墳群には属していないが、非常にかかわりのあるような古墳である。
現在は、黒姫山古墳が一基ポツンとあるだけだが、周辺の発掘調査により、すでに墳丘は削平されていてないが、6基の古墳が確認されている。黒姫山古墳を中心にいくつかの古墳が集まって古墳群が形成されていたようだ。
さて、黒姫山古墳については、森浩一氏の著作にも何回か取り上げられていて、著名な古墳ではあるが、電車でのアクセスがあまりよくないため、今回、長年大阪に住んでいるにもかかわらず初めて訪れることになった。(自動車で行くと割合簡単に行くことができる。)
黒姫山古墳は、墳丘長114mの前方後円墳で、前方部幅65m、後円部径64m、高さ11mの大きさである。築造されたのは、5世紀の中頃と言われ、ちょうど百舌鳥古墳群。古市古墳群で大型の前方後円墳がせっせと作られていた時期と重なり合う。
古墳は、二段築造で、東西を主軸としており、北側にだけ造り出しがある。周囲を幅15~20mの周濠が巡っており、また全体が古墳公園として整備されており、古墳を容易に一周することができる。
前方部の一部で、円筒埴輪列と葺石が復元されているが、周りに草木が生えてきてちょっと見えにくい状態にはなっている。
古墳の墳丘の平面プランは築造時と同じだが、中世に城塞として利用されたため、かなり盛り土がされているらしい。
古墳の南側に周って歩いていると、前方部と後円部の接合部分のあたりに、「史跡黒姫山古墳」と書かれた石碑と案内板が立っている。
ここでぐるっと一周できた。黒姫山古墳の前方部の東側に黒姫山古墳のガイダンス施設があり、建物の前に前方部にある竪穴式石室が復元されている。
竪穴式石室の周囲には円筒埴輪と朝顔形埴輪が石室を取り囲むように並べられていた。
竪穴式石室は、8枚の天井石でふさがれており、内部は川原石をを積み上げて石室を構築しており、底には礫石をしいていたらしい。
この石室からは、多くの短甲や冑などが出土している。短甲は24領、衝角付冑11個、眉庇付冑13個などが見つかっている。この数は、一度の古墳から出てきた数としては、今現在、日本で一番だそうだ。
また、この石室には、甲冑などがおさめられていたことになるが、人体埋葬はなかったとのことで、副葬品を埋葬するためだけに造られたもののようだ。ちなみに、被葬者を埋葬した石室は後円部にあったと考えられているが、すでに破壊されていて残っていない。近くの神社に、石室の蓋石と伝えられる石が残っている。
なお、板をめくると復元された石室の中を見ることができるようになっていたらしいが、ガイダンス施設等にも案内がなかったので、最後まで気づくことができなかった。
黒姫山古墳から、阪和自動車道に沿って東へ行くと堺市立みはら博物館がある。黒姫山古墳を訪れたならば、必ず行くべき施設であろう。黒姫山古墳から出土した甲冑が所狭しと並べて展示されていた。
これだけの甲冑をずらっと並べて展示している様子は、なかなか圧巻ではあった。黒姫山古墳のように副葬品として武具が見つかるのは、百舌鳥古墳群、古市古墳群が築かれた5世紀中期からのようだ。これだけの武具を副葬品として埋葬された被葬者は、一体どういった人物であったのだろう。
黒姫山古墳の出土の埴輪も復元、展示されていた。
博物館の中の喫茶店では、古墳バーガーが販売されていて、人気だそうだ。ハンバーガーに古代米が練りこまれているらしい。博物館を訪れた際は、話のタネにどうぞって感じかな。
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