休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

和泉 信太森葛葉稲荷神社

2016-09-25 18:53:08 | 史跡を歩く
 阪和線北信太駅の西南の住宅地の中にあり、この神社の境内だけが緑に囲まれている。訪れた時は、ちょうど秋祭りの前なのかだんじりの倉庫前で人が集まっていた。
 先日、晴明神社に続いての安倍晴明にかかわる場所である。さすがにこの地までは陰陽師ブーム、安倍晴明ブームは及んでいないのか、訪問したときは、人ひとりの影もなかった。ここ信太森葛葉稲荷神社は、信太森神社、葛葉稲荷とも呼ばれ、安倍晴明の母と伝えられる葛葉が住んでいたところと言われ、この地に祀られている。
 
 境内は、拝殿までいかにもお稲荷さんを祀っているように赤い鳥居が幾重にも連なっている。

 

 そんな大きなお社ではないが、厳かな雰囲気を感じる。参道の脇には、芭蕉の句碑と和泉式部の歌碑が建っている。
 
 

 はて、なぜに和泉式部と思い、調べてみると和泉式部の夫橘道貞は、和泉守となって、ともに任国へ下っており、夫の任国と父親の官名とあわせて和泉式部と呼ばれたらしい。和泉式部については、昔、古典の授業で、中世の説話集である沙石集の収録されている娘、小式部内侍との和歌のやり取りを想いだす。不思議と中学生、高校生の頃に覚えた話はというのはいつまでたっても覚えているものである。その点、新しい知識はなかなか定着しない。

 この和泉式部の歌碑には、「秋風はすごく吹くとも葛の葉のうらみがほには見えじとぞ思ふ」と刻まれている。歌意は、秋風はひどく吹いていますが、裏を見せるという葛の葉のように恨みを抱いていると見られるようなことはしないと思っておりますとのこと。またこの歌には、新古今和歌集に収められており、この歌については、和泉式部と同じく平安時代の歌人赤染衛門との和歌の掛け合いがある。その赤染衛門の和歌が次の通り。「うつろはでしばし信太の森を見よ かへりもぞする葛のうら風」とある。歌意は、心がわりしないでしばらく和泉の信太(しのだ)の森を見ていなさい。葛(くず)の葉が風にひるがえるようにあの人が帰ってくるかもしれないのだからといういみであるらしい。どうも最初の夫である橘道貞が和泉式部のもとに通わなくなった時に送った和歌なのかな。その後和泉式部自身は、冷泉天皇の皇子為尊親王と恋愛関係になるのだが。
 
 この赤染衛門と和泉式部の和歌が、安倍清明の母である狐の化身葛葉が詠んだ「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という和歌のモチーフになっているという話もある。この歌は、浄瑠璃の「蘆屋道満大内鑑」の「葛の葉子別れ」の段の中で、狐の葛の葉が、子どもである安倍晴明に残した歌として知られている。そして境内には、この歌の歌碑が建てられている。

 

 その他境内の中には、葛葉はその姿を映したと言われる姿見の井戸や

 

 千利休の作と伝えられる梟の灯篭、

 

 花山天皇が「千枝の楠」と命名した楠などがある。

 

 本殿の裏など境内には小さな祠などが多数あり、昔、滝修行に使われていたであろう場所もあった。(現在は、水が枯れている。)何となく不思議な空間になっていた。

 最近、境内や近くの北信太駅に葛の葉子別れの一場面を描いた絵が掲げられている。

 

 そういえば、手塚治虫も、この話をモチーフにした「悪右衛門」という作品を書いている。確か手塚治虫全集にも収録されていたはずである。

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