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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

京都 晴明神社

2016-09-19 23:19:46 | 史跡を歩く
少し前のことだが、仕事上どうもついていないことが続きため、職場全体にこれはお払いでもせんといかんのではないかという話になった。ちょうど大学時代の友人たちと京都で集まることになっていたことから、職場を代表して、どこか御利益のある所にお参りに行ってきてほしいというこちになった。そして、どこがいいのか、職場のみんなで協議した結果、晴明神社がいいんじゃないんということになった。
 大阪から上京した僕は、バスで堀川通を北へ登り、晴明神社に向かった。

 バス停一条戻橋・晴明神社前で、バスを降り、まずはバス停の前にある一条戻橋へ足を運んだ。
 一条戻橋は、もともとは、一条大路が堀川を渡る橋として作られたものであり、何度も架け替えられているが、現在も平安京の時代からほぼ同じ場所にあると言われている。

 

 戻橋とは、珍しい名前がついている。結構いろいろなHPなどでも紹介されているが、平安時代の学者三善清行が一条戻橋を渡った時に一瞬蘇生し、息子の浄蔵と抱き合ったという話や源頼光の四天王の一人渡辺綱が、酒呑童子の子分茨木童子にこの橋のたもとで襲われた話、また安倍晴明がこの橋の下に式神を隠していたという伝説などが良く知られている。また、千利休が梟首されたのも子の一条戻橋であったという話もある。
 ここが、平安京の一番北限であり、あの世とこの世とを結びつける異界と繋がっているような場所と認識されたことからこのような伝説が生まれたのかもしれない。

 橋の下には、すっかり川というよりも排水溝のようになってしまった堀川が流れている。一条戻橋の伝説からは、ずっと遠い位置にあるような感じである。

 

 この橋自体も、平成7年にかけ替えられたものであり、旧の橋は、晴明神社に移築されているとのことであった。

 さて、この日のメイン、晴明神社に向かうといっても、一条戻橋からは堀川通を挟んで斜め向かいの所にあり、ほんの一瞬の移動である。安倍清明の邸宅のあったところを、一条天皇の命により社殿が建てられたと伝えられている。陰陽師ブーム、パワースポットブームの影響なのか、結構夕方に近い時間に行ったのだが、女性を中心にたくさんの方が参拝に来ていた。

 一の鳥居をくぐって、すぐ左手に旧一条戻橋が移築されている。

 

 そのたもとには、何とも言えない顔をした式神が座っている。見ようによってはディズニーの七人のこびとのようにも見える。安倍清明と式神の言い伝えを再現しているのであろう。
 さらに二の鳥居をくぐって、手水鉢の横に晴明井という井戸がある。安倍清明が念力によって湧出させた井戸との言い伝えがあり、千利休もお茶に使っていたという話もある。
 この日の私のミッションは、きちんと本殿にお参りをして、祭神である安倍清明の力を借りて、とにかくこれまでの悪い流れを断ち切ることにある。

 本殿にお参りし、二礼二拍一礼した。そしてお賽銭も少し奮発をした。

 

 それから、ご利益のありそうなすべて拝ませていただいた。

 厄除桃に

 
 
 ご神木に

 

 そして、安倍清明像も

 

 晴明様の神力であとはよろしくお願いします。

 境内には、安倍晴明の逸話を元にしたパネルもある。何とも用意がいい。
 
 

 狛犬には、珍しく角がある。犬というより式神みたいな感じだ。そして、神社のいたるところに晴明紋がある。意外にも防火水槽の上にもあった。
 とにかく、この悪い流れを断ち切りたい。その想いを胸に晴明神社を後にした。

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