平成28年2月24日(土)
奈良市埋蔵文化財センターの主催で、長屋王邸跡の上に立っている旧イトーヨーカドーの道を挟んで向かいにある平城京左京三条二坊宮跡庭園の修理現場の見学会があったので、事前申し込みをして参加してみた。
この宮跡庭園については、二条大路の南側にあり、車の通りは多いのだが、意外とひっそりとしているため、割と見逃しやすい所のように思える。僕自身も数年前の平城宮の発掘調査の現地説明会の帰りに一度だけ寄ってみたことがある。
その時はすでに庭園の遺構の修理が始まっており、修理現場の覆屋の中にある遺構を、隙間から垣間見ることができただけであった。
今回は、その覆屋の中に入って、実際に庭園遺構の修理現場を見ることができた。
少しだけ、宮跡庭園について触れてみると、郵便局の建設予定地を発掘調査をしたところ出土した園地遺構を、昭和60年に整備公開したものであり、現在は国の特別史跡、特別名勝に指定されている。場所的に言うと平城宮の外にあるので、「宮跡庭園」というのも少しおかしい気もするのだが、平城宮に使われていた瓦等の出土もあり、平城宮の離宮的な施設または皇族等の邸宅と考えられることから、「宮跡庭園」と名付けられている。
ちなみに、前にも書いたが、この宮跡庭園の道を挟んで北側には、長屋王邸と考えられる遺構が見つかっているのだが、宮跡遺跡は、長屋王が活躍した時代よりも少し後の奈良時代の中期(750年ごろ)から平安時代の初めまでのものであるらしく、その間に建物等は建替えられたりはしているらしい。
遺跡の整備としては、庭園が造られた奈良時代の中期の様子を復元している。
入り口から入ってみると掘立柱建物と井戸の遺構が平面表示されている。
掘立柱建物が3棟と井戸が2基復元されている。掘立柱建物の3棟のうち2棟は片庇の建物で、園池の方を向いている。
園池の西側に朱塗りの両庇の建物が復元されている。南北に長い建物で、園池の景色を鑑賞するための施設として建てられたものと考えられる。ここからは、池を通して、遠く春日山なども望むことができたのであろう。
この建物の中には入ることができるが、現在は、遺構の修理のため覆屋が建っているので、この建物から池を望むことはできない。
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さて、宮跡庭園の池であるが、水を導水してきて流すようになっている曲水になっており、池のそこには、玉石を敷き詰め、汀には縁石を並べており、池が屈曲している所では、大きな景石を配置している。
発掘された景石や玉石敷きは発掘した時の状態であり、縁石の外側の礫石敷きは、盛り土をした上に復原表示しているとのこと。石の遺構であるので、そう痛まないのかなと思いきや意外と痛みが早く、石に亀裂や破損が生じたため、当初の整備からわずか30年ほどではあるのだけども、今回の修理となっている。
修理については、景石等はひびが入ったり、割れたりしているのをいったん取り外したうえで、修理し、あたらめて元の場所に元の形で戻すことになる。
保存化学処理をして、破片等を接合して修理した石がこれである。こうして修理した石を測量を繰り返しながら三又やロープなどを駆使しながら元の場所に戻していく。この作業を今回見せていただいたのだが、まあ気の遠くなるような作業で、庭園の遺構には120石ほどの景石があり、そのうちの55石が修理が必要ということで、平成26年度から作業を実施している。
実際に作業をされている方は、細かい気を使いながらの作業であり、本当に大変な仕事をされていると思う。この作業を行っている会社は、造園を行っている会社だそうだ。
大雑把で不器用な僕では、絶対できないなあ。でもこの庭園の石の配置や形が奈良時代の人たちの芸術意識を表しているのだから、できるだけそのままに残しながら後世に伝えていくことは必要なことなのであろう。
この修理は、平成30年度まではかかるそうで、あと1年ほどで覆屋を外してきれいになった姿を見ることができる。その時が楽しみである。
宮跡庭園の北側の旧イトーヨーカドーの前には、長屋王邸跡であることを示す案内板がひっそりと建っている。
もともとこの場所にはそごうが建っていたのだが、そごうがつぶれ、イトーヨーカドーになっても、うまくいかず新たなテナントが入っている。「長屋王の呪い」というネタもあったりするが、バブル期の産物である。
遺構として残しておいた方が、世界遺産として登録で来たかもという気もするのだがなあ。
奈良市埋蔵文化財センターの主催で、長屋王邸跡の上に立っている旧イトーヨーカドーの道を挟んで向かいにある平城京左京三条二坊宮跡庭園の修理現場の見学会があったので、事前申し込みをして参加してみた。
この宮跡庭園については、二条大路の南側にあり、車の通りは多いのだが、意外とひっそりとしているため、割と見逃しやすい所のように思える。僕自身も数年前の平城宮の発掘調査の現地説明会の帰りに一度だけ寄ってみたことがある。
その時はすでに庭園の遺構の修理が始まっており、修理現場の覆屋の中にある遺構を、隙間から垣間見ることができただけであった。
今回は、その覆屋の中に入って、実際に庭園遺構の修理現場を見ることができた。
少しだけ、宮跡庭園について触れてみると、郵便局の建設予定地を発掘調査をしたところ出土した園地遺構を、昭和60年に整備公開したものであり、現在は国の特別史跡、特別名勝に指定されている。場所的に言うと平城宮の外にあるので、「宮跡庭園」というのも少しおかしい気もするのだが、平城宮に使われていた瓦等の出土もあり、平城宮の離宮的な施設または皇族等の邸宅と考えられることから、「宮跡庭園」と名付けられている。
ちなみに、前にも書いたが、この宮跡庭園の道を挟んで北側には、長屋王邸と考えられる遺構が見つかっているのだが、宮跡遺跡は、長屋王が活躍した時代よりも少し後の奈良時代の中期(750年ごろ)から平安時代の初めまでのものであるらしく、その間に建物等は建替えられたりはしているらしい。
遺跡の整備としては、庭園が造られた奈良時代の中期の様子を復元している。
入り口から入ってみると掘立柱建物と井戸の遺構が平面表示されている。
掘立柱建物が3棟と井戸が2基復元されている。掘立柱建物の3棟のうち2棟は片庇の建物で、園池の方を向いている。
園池の西側に朱塗りの両庇の建物が復元されている。南北に長い建物で、園池の景色を鑑賞するための施設として建てられたものと考えられる。ここからは、池を通して、遠く春日山なども望むことができたのであろう。
この建物の中には入ることができるが、現在は、遺構の修理のため覆屋が建っているので、この建物から池を望むことはできない。
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さて、宮跡庭園の池であるが、水を導水してきて流すようになっている曲水になっており、池のそこには、玉石を敷き詰め、汀には縁石を並べており、池が屈曲している所では、大きな景石を配置している。
発掘された景石や玉石敷きは発掘した時の状態であり、縁石の外側の礫石敷きは、盛り土をした上に復原表示しているとのこと。石の遺構であるので、そう痛まないのかなと思いきや意外と痛みが早く、石に亀裂や破損が生じたため、当初の整備からわずか30年ほどではあるのだけども、今回の修理となっている。
修理については、景石等はひびが入ったり、割れたりしているのをいったん取り外したうえで、修理し、あたらめて元の場所に元の形で戻すことになる。
保存化学処理をして、破片等を接合して修理した石がこれである。こうして修理した石を測量を繰り返しながら三又やロープなどを駆使しながら元の場所に戻していく。この作業を今回見せていただいたのだが、まあ気の遠くなるような作業で、庭園の遺構には120石ほどの景石があり、そのうちの55石が修理が必要ということで、平成26年度から作業を実施している。
実際に作業をされている方は、細かい気を使いながらの作業であり、本当に大変な仕事をされていると思う。この作業を行っている会社は、造園を行っている会社だそうだ。
大雑把で不器用な僕では、絶対できないなあ。でもこの庭園の石の配置や形が奈良時代の人たちの芸術意識を表しているのだから、できるだけそのままに残しながら後世に伝えていくことは必要なことなのであろう。
この修理は、平成30年度まではかかるそうで、あと1年ほどで覆屋を外してきれいになった姿を見ることができる。その時が楽しみである。
宮跡庭園の北側の旧イトーヨーカドーの前には、長屋王邸跡であることを示す案内板がひっそりと建っている。
もともとこの場所にはそごうが建っていたのだが、そごうがつぶれ、イトーヨーカドーになっても、うまくいかず新たなテナントが入っている。「長屋王の呪い」というネタもあったりするが、バブル期の産物である。
遺構として残しておいた方が、世界遺産として登録で来たかもという気もするのだがなあ。
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