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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

大阪歴史博物館「マンガのちから」

2014-04-09 01:23:59 | 博物館へ行こう
 昨年の「幽霊・妖怪大全集」展以来の大阪歴史博物館である。今回は「マンガのちから」というわけで、我々にさまざまなちからを与えてくれるマンガの原点である手塚治虫と石ノ森章太郎にスポットを当てた展覧会である。そういえば去年ぐらいから、NHKBSで手塚治虫と石ノ森章太郎のマンガが原作になっているアニメや特撮を放映していたが、この企画とタイアップしたものであったかと今になって理解した次第。
 展覧会は、4部構成で、「二人の出会いマンガ誕生」「爆発するマンガ 時代への挑戦」「”ちから”の本質対決」「未来へ生き続ける”ちから”」となっている。

 手塚治虫は、1928年生まれ、石ノ森章太郎は、1938年生まれと10歳の差がある。二人の出会いは、すでに「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などで売れっ子作家になっていた手塚治虫のアシスタントを、当時学生であり、「漫画少年」という投稿雑誌の常連で会った石ノ森章太郎が務めたことは、有名な話である。
 そしてのち、手塚治虫が住んでいたトキワ荘というアパートに、上京してきた石ノ森章太郎も住み、そのトキワ荘には、マンガ草創期のマンガ界を支えた藤子不二雄や赤塚不二夫、寺田ヒロオなどのそうそうたるマンガ家が集まることによって、一つの伝説となった。

 展示には、復元されたトキワ荘があった。喜んだ僕は、思わず写真をパチパチ。

 

 中には、手塚治虫や石ノ森章太郎の部屋も復元されていた。トイレもお風呂も台所もない、小さな6畳一間の部屋から、多くの物語が紡ぎ出された。ちょっとした感動を覚えてしまう。日本マンガの青雲の時代であった。

 僕が、直接知っているのは、第2部以降の時代。仮面ライダーの放送が始まったころからである。首にマフラーを巻いて、仮面ライダーを気取って自転車を乗り回していたことを覚えてるなあ。まだまだ車も少なかったから、自転車を飛ばしても注意されることはまずなかった。仮面ライダーの原題は、「昆虫人間ホッパーキング」だったそうだ。没になってよかったね。
 この当時は、「仮面ライダー」や「人造人間キカイダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」など石ノ森章太郎が原作を担当した作品が多く放映されていた。もしかすると手塚治虫より石ノ森章太郎の方が先に名前を覚えたかもしれない。ようよう考えてみると、虫プロの倒産した時期であり、手塚治虫の一番底の時代であったかもしれない。

 小学校3年生ぐらいになって、初めて週刊マンガ誌を買うようになった。そこでであったのが、「ブラックジャック」、手塚ワールドにのめり込むことになる。手塚治虫自身、「ブラックジャック」の連載をきっかけに奇跡の復活を遂げた。

 展覧会で印象に残ったのが、「サイボーグ009」のラスト。002と009が、大気圏突入してしまい、流れ星となっていくラスト。ちょうど、子どもとの会話で、自分が死んだらどうしてほしいという話の中で、宇宙に打ち上げてもらう宇宙葬というのもいいか。地球に突入して、摩擦熱で塵になるのもロマンチックかなと話していた矢先だったのでびっくり。
 アトムは、人類を救うために太陽に突っ込んでいったし、ヒーローのラストは物悲しいなあ。

 展覧会、結構外国からに人も多くいたのに、ビックリ。マンガは日本の文化として世界に受け入れられているという現状を再認識しました。
 僕自身は、何時間でもこの空間を楽しめたのだが、同行している奥さんが、退屈してきて、1時間半ぐらいで出てきた。惜しかった。でもお詫びかどうか知らないが、めずらしく「図録」を買ってくれました。(そうそう、アトムのマグカップも。)
 感謝感謝です。

 

 博物館の出口には、こんなものも。多くの人が並んで写真を撮ってましたよ。

 

 僕も、写真を撮りました!

 最近、大阪歴史博物館の展覧会、ちょっと違う感じの展覧会がちょこちょこあり、足を運ぶ機会が増えてきましたね。

 
 

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