こうぞ1号墳のある森をでて、再びもとの県道37号線にでたあと、少し西に進んで、桜井中学校を越えたところで、再度民家の間を抜けて山の方へ向かう。途中、民泊をしている民家があり、農作業をしているおじさんに声をかけられながら、山裾を進んでいくと、桜井市教育委員会の秋殿南古墳の解説板があった。
意外とこの古墳はすぐ見つかるのかとおもいきや、ことはそう簡単にはいかない。
この案内板を通り過ぎて、すぐのところをふたたび藪の中に入っていった。この案内板からは、この行程は想像できないなあ。
この無造作に置かれたような木が目印。このポイントから左へ入っていく。すると藪の向こうにそれとなしに、古墳の石室が口を開けているのが見える。
古墳までは、細い道があるので曲る所だけ間違えなければ遭難することはないような気がする。
秋殿南古墳の登場である。この古墳は、7世紀の前半に築造されたと考えられている一辺26mの方墳である。いわゆる終末期古墳の一つである。
横穴式石室の長さは、全長13mほどで、羨道は一段組の石で造られている。だいたい6mほどあり、少しかがんで中に入ることができる。すでにこうぞ1号墳の石室を経験しているので、これぐらい簡単なものである。
羨道を抜けて玄室に出ると、高さが2mほどあるので立ち上がっても大丈夫である。
玄室は2段組で造られており、飛鳥にある岩屋山古墳を彷彿させる。ただ、石の切り出し方とかがこっちの方が稚拙に感じるので、こっちの方が古いのかもしれない。考えれば、岩屋山古墳は大王級の古墳なので、同じ時期に造られても、全く同じという訳にはいかないと考えると亜流なのかもしれない。
しかし、見事な石室である。少し持ち送りになっているように見える。両袖式の石室である。
玄室から外を見たところ。表面を平らに加工された石が3石置かれている。
この古墳を造ったのは誰であろうか?この辺りに勢力を持っていたと考えられる阿部氏の存在が気になる所ではある。
天井石も立派。奥壁の石の亀裂が少し気になるところではある。同じく足元のブルーシートも何のために残っているのか気になるなあ。
石室を出ると、一気に開放感と充実感が湧き上がってくる。
この古墳、かなり立派なものなのに、こんなにポンと置いてていいのかね。桜井市、おそるべし!!
最後に、秋殿南古墳があるということは、北古墳があるのではと思い、調べてみると奈良県の遺跡地図には、秋殿北古墳という径10mほどの横穴式石室を持った円墳が記されている。アクセスルートがないので、行くことはできなさそうである。
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