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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

豊田狐塚古墳 現地説明会

2016-11-06 15:42:15 | 現地説明会
 平成28年4月9日(土)
 この春に行われた現地説明会ですが、これまでなまくらをしていて、全く書いていないので、この休みを利用してまとめ上げをしていきたいと思う。
 
 さて、豊田狐塚古墳については、都市計画道路整備事業の一環として行われており、昨年度に現地説明会が行われた豊田トンド山古墳の続く、横穴式石室の発見となった。
 現地に赴く際に、昨年の豊田トンド山古墳に行ったときと同じ道を辿っているなあという気はしていたのだが、現地に行ってびっくり😲、ちょうど豊田トンド山古墳よりは低いが、100mほどしか離れていないところに豊田狐塚古墳はあった。正確にいうと尾根筋が違っているというところである。

 豊田狐塚古墳については、明治時代の記録にはこの古墳らしき記述があったらしいが、この古墳に関しては、今回の発掘調査で初めてその存在が確認されたとのことである。
 
 

 見つかった横穴式石室は、両袖式のもので、南向きに開口している。玄室の大きさは、全長で4.4m、奥壁の幅は2.2m、床面からの高さは2.2mとのこと。

 

 羨道は一部調査区域外のため発掘されていないが、玄門の幅は0.8mとなっている。

 

 天井石、側壁の一部の石は、抜き取りにより失われている。埋葬としては、3つ置かれていたようで、発掘直後の写真にはその様子がきちっと写っている。

 

 ただ、一度に埋葬されたわけではなく、出土品の様子から、追葬などが行われたのではないかと推測されている。

 墳丘については、直径20mほどの円墳となる可能性はあるが、後世の開墾などによる形状はかなり変わっているとのこと。

 

 現在は、埋め戻されているが、豊田トンド山古墳から見ると円墳であることが認識できる。

 

 こういう雰囲気で眺めることって案外ないのでちょっと嬉しかったりする。

 出土品については、とにかく須恵器がたくさん出ている。豊田トンド山古墳でもこんなに出ていなかったと思う。

 

 また、旋回式獣像鏡が1枚出ている。これが文献に残っている一度発掘されたが埋納されたものかもしれないとのこと。その他にも馬具や水晶製の切子玉、丸玉、管玉などが見つかっている。

 

 これらの出土遺物から、この古墳の築造時期は、6世紀の中葉から後葉ということなので、豊田トンド山古墳よりは少し古い古墳になる。ただ、位置関係から考えると何らかの関係はあると考えられそうである。
 豊田トンド山古墳については、古墳が築造されている場所が、石上神宮や布留遺跡を見下ろすことができる高所に築かれていることから、物部氏の首長層が想定されているが、豊田狐塚古墳については、おそらくこういった首長層に使える有力者の墓ではないかと考えられそうである。

 

 豊田狐塚古墳は、石上、豊田古墳群の南西端にあたり、この古墳群には、150基から200基の古墳があると言われている。この先、まだまだ未発見な古墳はさらに出てくるかもしれない。そう思うと胸がときめくとともに、その分だけ失われる可能性もあるのである。うらはらではある。

 【参考】
 豊田トンド山古墳については、「豊田トンド山古墳 現地説明会」を参照してください。
 

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