赤橋のすぐそばに梶ヶ谷隧道がある。
この梶ヶ谷隧道は側壁は御影石、アーチ部分は煉瓦で作られている。煉瓦の積み方は、イギリス積みと言われている工法が用いられている。何度か出てくるイギリス積みとは、長短の煉瓦を交互に積んでいく工法をいうのだそうだ。そして、この梶ヶ谷隧道はもともとは、農道と水路を通すために作られたものである。現在は普通に歩いて通れるトンネルになっている。
かつて、大仏鉄道の汽車が走っていたこの隧道の上を、今は自動車が通ることができるようになっている。
梶ヶ谷隧道を中を抜けると、周りに急に田畑が広がり里山の風景が突然目の前に現れる。隧道自身も表と裏で見える表情が変わっている。裏側から見ると、いかにも廃線になった後のトンネルの風情が漂っている。
ここから、また緑に囲まれた道を歩いていくことになる。
緑のトンネルや竹のトンネルを歩いていると鹿背山橋台が見えてくる。
石積みで作られており、きっちりと隙間なく重ねられた石積みに、桜井市にある文殊院西古墳の石室を想い起こすのは私だけであろうか?
それから橋台とは、橋の上部構造を支える両端の構造物である。構造物が、3つ以上になると、中にあるのが橋脚と呼ばれるようになる。こういう重厚さは明治のものだなあという気がする。明治の男を感じるよ。大仏鉄道は、この上を走っていたのである。
田園風景を楽しみながら、ずんずんと歩いていくと、丁字路になっており、突き当たりの柵があり、その策がある場所が観音寺小橋台である。この時私のもとに衝撃がはしる、車にひかれたであろうシマヘビの姿が足元にあったのである。実は、カエルなみにヘビが嫌いなんだよな。ショックだった・・・。
橋台の姿自身、緑に覆われてあんまり見えなかった。
ちなみに奈良駅でもらった遺構マップには、この観音寺小橋台のことは記載されていない。立ち入りができないのはすぐそばをJR大和路線が走っており危険なためだという。
いよいよ最終のチェックポイントともいえる観音寺橋台である。
石積みで作られており、すぐ横をJR大和路線が走っている。この橋台が作られたのと同じ時期に作られたものであるらしい。
ここからは、ルートが二手に分かれている。歴史を感じるコースと田園風景を楽しむコースである。今回は、橋台と通過して田園風景を楽しむコースを選択した。そういえば、ここで初めて反対側から来た人とすれ違った。酔狂な人は居てるものである。ただこの時間から奈良をめざすのはしんどいかもしれないなあ。
ちょうど大和路快速が上を走っていった。こっちはまだ現役なのである。
田園風景を眺めながらプラプラと加茂駅をめざしてあるく、少しずつ目の前の視界も開けるようになり、人家も現れるようになる。静かな田園風景を見ると、どこか気持ちも落ち着き、美しい日本の私である。
何も考えずに歩いたため、最後の最後で、道を少し迷ってしまい、C57蒸気機関車を見逃してしまった。残念。
そして、煉瓦でつくられたランプ小屋を横に見て加茂駅前の公園に至る。ランプ小屋は、煉瓦造りで歴史を感じさせる建物であるが、もともとは危険物倉庫。火災を防ぐ必要性から駅から離れた場所に作られたそうだ。
ゴールは、駅東公園の動輪モニュメント。平成19年につくられたものだそうだ。
到着時間は、15時15分。出発は10時30分だったから、まあいい時間か。ここから電車に乗って帰ろう。
この大仏鉄道は、今の関西本線の前身である「関西鉄道」が名古屋から大阪への進出をめざして作った鉄道である。ただこの鉄道は勾配がきつかったため、すぐ近くに木津駅を通る平坦なルートができたため廃線になったとのことである。
この日は、田園風景と近代化遺産を満喫できた気持ちの良い一日になりました。歩くのは春と秋がおススメですね。
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