奈良の桜井市には、箸墓古墳や巻向古墳群など、古墳の始まりの時期の古墳から、艸墓古墳や文珠院西古墳など終末期の古墳等、日本の古墳のスタンダードとも言えるような古墳が多く、存在している。最近、この辺りも古墳を探して、あっちこっちを探訪している内に、古墳の写真等もかなり集まってきたので、いくつかを紹介していきたい。
今回は、近鉄、JR桜井駅の南側、国道165号線沿いにある桜井茶臼山古墳を取り上げることにしたい。古墳へは、165号線からの行き方もあるが、旧の街道筋から跡見橋の手前の川沿いの細い道から後円部にたどり着くルートを取った。
川沿いの道から川を渡って住宅の間を抜けると、ちょうど古墳のくびれ部にあたる場所にでた。
また、後円部の所には桜井市教育委員会が作成した案内板が立っている。
桜井茶臼山古墳は、全長200mの前方部を南に向けた前方後円墳である。最初期の古墳の特徴である前方部の形が直線的な柄鏡型になっている。
古墳の調査は、1949年と2009年の2回行われており、2009年の調査では方格規矩鏡や三角縁神獣鏡などの81面以上の銅鏡片が検出されている。
後円部には、ぐるっと回って反対側のくびれの部分から墳丘に登ることができる。ただ、かなり草などが生えていて、なかなか上るルートが見つからない。後円部は、墳丘に登るためにブロックで簡易な階段が造られているが、ほとんど草に覆われてわからない状態であった。
這う這うの体で後円部の墳頂に上がってみると、藪になっていて、後円部にあるとされる竪穴式石室がどこにあるのか全く分からなかった。
埋葬施設については、玄武岩や安山岩を使った板石を積み上げて竪穴式石室の石室があり、その石室の上には方形壇が築かれ、その周囲を二重口縁壺が並べられ、その周りには丸太を並べた「丸太垣」で周囲から遮蔽されていたことがわかっている。
また、桜井茶臼山古墳の墳丘には、葺石はあるが、埴輪は置かれていなかったらしい。
残念なことに、後円部の墳頂に登ってもそういったことはわからない。ただ、木や草の間から、三輪山や箸墓古墳の姿が確認でき、おそらくこの古墳が築造されたときは、この二つの場所を意識していたのであろう。
古墳が築かれた順番としては、現在、箸墓古墳→西殿塚古墳→桜井茶臼山古墳→メスリ山古墳→行燈山古墳と考えられている。
後円部から降りると、少し広い場所に出る。
昔、ボーリング場がこの場所にあったらしい。取り壊されて、原っぱになっているのだそうだ。
惜しいことに、周辺で桜井茶臼山古墳の全体を写真に写せるポイントが見当たらなかったことである。この後は、鳥見山の東側からぐるっと回って舞谷2号墳などの古墳を見て回ることにした。
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