飛鳥寺というと、日本で最初の本格的な寺院が作られたところであり、飛鳥の観光スポットでもひときわ多くの参拝客、観光客でにぎわうところである。かくいう私も小学校の頃から幾度となく訪れている。
特に最近は、飛鳥寺西方遺跡の発掘調査が、何か年か継続して行われており、その現地説明会に参加するたびに、そのついでに寄っているようなところがある。
そのためか、通常の入り口になっている東門よりも反対側の西門から入ることが多い。秋ともなると門前の畑にコスモスなどが植えられて、華やかな感じになる。
そして、飛鳥寺の境内に東奥に、万葉歌碑が一基、堂々たる姿を見せている。
歌碑には、珍しく長歌とその反歌が刻まれており、揮毫は、国文学者佐々木信綱氏である。歌碑の文字が結構読み取りにくいが、「三諸の 神奈備山に 五百枝指し 繁に生ひたる つがの木の いや継ぎ継ぎに 玉葛絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香の古き京師 山高み 河とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河し清けし 朝雲に鶴は乱れ 夕霧に河蝦はさわく 見るごとに哭のみし泣かゆ 古思へば」とあり、反歌の方は、「明日香川 川淀去らず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに」とある。作者は、万葉歌人山部赤人である。飛鳥にある万葉歌碑で、赤人などのビックネームの歌碑って案外少ないような気がする。
歌の意味は、「神岡に枝を広げたすきまなく生い茂っているつがの木の、その名前のように次々と絶えることなく、ずっと訪ねてみたく明日香の古い都は山は気高く、川も雄大である。春の日は、山が見事で、秋の日は川音が清々しい。朝雲に鶴は乱れ飛び、夕霧に蛙がしきりになく、何を見ても泣けてくる。当時のことを思うと。」ということであろうか。また、反歌は「明日香川の川の淀をなかなか離れない霧のように、すぐ消え失せるものではない私の恋ごころである。」ということになる。
この三諸の神奈備山は、飛鳥寺から南を眺めると橘寺の向こうに見えるミハ山のことであると言われている。
明日香の古い都は、飛鳥浄御原宮をさしている。ちなみに山部赤人は、奈良時代、天平時代の人物であり、続日本紀などの正史には記載がなく、万葉集のみに出てきている。
飛鳥浄御原宮についても、この飛鳥寺の南に築かれている。今でも、夏の頃など、この宮跡周辺の田んぼを歩くと蛙の鳴き声が聞こえてくる。そう思うと万葉人と同じ音、景色を共有しているような気になる。
最後に、飛鳥寺には、鞍作止利の作と伝えられる釈迦如来座像、通称飛鳥大仏がある。後世の補修をかなり受けているが、頭部と右手首などに当時もものが残っていると言われる。
飛鳥大仏については、飛鳥寺創建時と安置されている位置は変わっていないとのこと。非常にいかめしい飛鳥時代の仏像の顔をしている。
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