神明神社古墳の見学の後、遊歩道をよく見ると皿池古墳と書かれた案内板があった。こんな名前の古墳があるとは聞いてないぞとさらに遊歩道を奥に進む。
皿池古墳は、万葉の丘と呼ばれる所にあり、アップダウンを繰り返しながら歩いていくと、皿池古墳と書かれた標柱があり、その向こうに古墳と思しき高まりがある。
皿池古墳を見つけだぞ~。きっと石室は南側に開口しているはずと、墳丘を回り込むと、何と・・・。
えぐい位に墳丘がえぐられているではないか、これでは石室は残っていないなあ。ありゃ~てな感じ。
周りには、古墳に関する説明板等もない。わざわざ案内板まで出して来させたのにほったらかしですかい。
奈良県の遺跡地図によると、直径25mの円墳で、埴輪や須恵器が採集されているようだ。ただし、発掘調査等は行われていない様子。築造時期は、神明神社古墳よりは古いことは確実でしょう。(笑)たぶん、6世紀の後半ぐらいのような気がする。それから、墳丘には登ることもできる。
神明神社古墳とこの皿池古墳との関係も不明。ただ、遺跡地図を見ていると、施設内の池の周辺には直径25mほどの円墳がいくつかある。皿池古墳は、これらの小円墳等で構成される古墳群の一つなのであろう。
ただ、神明神社古墳のところでも書いたが、公園を管理している県の社会教育センターが、閉館になっているので、管理がきちんとされているのかどうかは不明。
ちょっと心配なところではある。
皿池古墳からは、近くの田んぼのあぜ道につながる小径を見つけたので、その小径を通って、元の道に出る。ここから山麓線を通って、屋敷山古墳へ向かった。
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