今年の7月の初め、奈良は西大寺駅の近くにある近鉄百貨店で、今西酒造の「春鹿」の試飲販売会に行ってみた。今回のお目当ては、夏限定の「夏しか」とたなばた限定の「春鹿」。開店後、間がないということもあり、見事、二つともゲット!ラッキー。
どちらも、すっきりとした、どことなくフルーティな味のする味わい深いお酒で大満足でございました。日本酒を購入した後は、時間も余っていたので、近くにある平城宮址へ。
この時は、コロナウィルス感染症による緊急事態宣言が解除されたばかり。コロナ禍以後にちなんで、平城宮跡資料館では「古代のいのり -疫病退散!」というミニ展示が開催されていた。
平城京の時代、天平9(737)年に都では、天然痘と思われる疫病が大流行し、時の権力者である、藤原四兄弟をはじめ、多くの人がなくなったことを「続日本紀」には記されている。
展示では、まじないの力でもって、疫病を退けようとした呪符木簡や土馬や人形などが展示されていた。
この木簡には、九頭を持つ大蛇に、瘧鬼を食べてもらおうという内容の願いがしたためられており、この願文の力で、天然痘が入ってくるのを押さえようとしていたのだろうか?
興味深かったのは、感染予防や新しい生活様式を思わせるような食器。
藤原麻呂邸と思われる場所の溝から、発掘された食器。まだ使えるような食器が大量に捨てられていた。
そして、藤原麻呂は、この時の天然痘の流行で命を落とした貴族である。そうしたことを考え合わせると、感染症防止のため、まだ使えるのにも関わらず大量に捨てられたものではないかとのこと。現代的な医学的知識はないなかで、感染者の観察等からそういったことが思いつくだけでもすごいと思う。
この展示で特に印象に残ったのはこれ↑
奈良時代の後半から、食器が小型化するらしい。つまり、現代の新しい生活様式と同様に大皿での共食は避けた方が良いということの表れなのだろう。考えれば、どうやってそういった知識を得ることができたのか?経験と観察だけで思いつけたのか?少し不思議な気持ちだ。
これらの展示を見て思うのは、今から1300年前の人々は、天然痘の流行に際して、なすすべがなかったというよりは、少なくとも何らかの対抗策を立てようとしていたことがわかる。
そして展示を見終わった後、平城京内をぶらぶら。朱雀門あたりまで行ってみた。コロナ感染症による自粛等の影響で、まだまだ人は少ない。線路の向こうに見える大極殿院の南門の復元工事は、順調に進んでいるようだ。
11月から1月にかけて復元工事の一般公開が行われる。なんとか一日あけて見に行きたいなあ。申し込みはHPでできるらしいので、何とか申し込みをしよう!
そうこうしているうちに雲行きが怪しくなり、夕立ちが降ってきた。とりあえず平城京内の覆屋に駆け込んで雨が止むのをまつ。しかし、雨足は激しくなる一方。
仕方ないので雨やどりをしながら、南門や大極殿が雨で霞んでいる風景を写真に撮ってみることにした。雨が激しくなり、遠くの方に霞んで見えるいくつかの建物。なかなかに風情のある光景である。
覆屋の中で30分ほど待っていると次第に周りが明るくなってきた。
その間、最近の奈良県、奈良市って積極的に建物などを復元しているような気がするなあなどと思いながら思索にふける。そういえば、高校時代って、この時期、いつも学校や近くのスーパーで雨宿りしてた記憶がある。最近、雨宿りをすることがすっかりなくなっているのは、なぜだろう。仕事から、帰る時には、暗くなっているからかなあ。
こうやって平城宮の風景を眺めながら雨宿りをするというのも意外と悪くはないなあ。などと思っているうちに、雨も次第に小降りになってきたので、覆屋から出て、帰路につくことにした。
緊急事態宣言も解除された。この後、少しずつでも日常が戻ってくればと思う。(11月になると第3波がやってきた。まだまだコロナ感染症は終わらない。)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます