令和3年10月2日(土)
昨年度に引き続いて、藤原宮大極殿の北方の調査である。そのため調査区は大極殿の北西部に寄っている。
今回は、昨年度の205次調査で検出された大極殿後方東回廊につながる後殿にあたる建物の有無を探ることを目的として実施された。
調査結果としては、北方回廊と大極殿後方東回廊との間には建物らしきものは確認できず、藤原宮造営時の運河や藤原宮造営以前に造られたと考えられる朱雀大路の跡などが検出されている。
第205次調査時に検出された先行四条条間道、今回は道の両側に設けられた北側溝と南側溝がともにはっきりと姿を現している。写真は調査区の東側の部分。
先行四条条間道が、運河跡や先行朱雀大路を挟んで調査区の西側にも姿を見せている。北側溝、南側溝ともこの先は先行朱雀大路の西側溝につながる。
手前は礫敷になっている。
先行朱雀大路、幅14.7mの南北道路。東側と西側の側溝が検出された。
藤原宮は、持統、文武、元明の三代の都として、造営されたものである。先ほどの先行四条条間道や先行朱雀大路があるということは、持統天皇が藤原宮を造営する前に、何らかの形で都づくりがなされていたという事を示している。文献上では、天武天皇が、飛鳥浄御原宮に代わる新たな都を造ることを進めようとしている記述があるので、そのことを裏付けていると言えそうである。
溝1、先行朱雀大路東側溝と先行四条条間道北側溝との間を瓦を使用した暗渠でつないでいる
大極殿後方西回廊、第200次調査で明らかになった大極殿後方東回廊とつながると想定されている。
版築で作られた基壇と思わしきもの。中に小石を詰めて築かれているのは珍しいとのこと。
さてこの基壇が何になるのかが、今年度の調査の伏線になっているというのは、今年の第210次調査の見学会でわかった。
まとめて、何年か分を見るのも大事だわ。今回は、回廊よりも幅の広い建物があった可能性があるにとどめておこう。
大極殿後方東回廊と北方回廊との間には、礫敷になっている。
運河の跡。藤原宮造営時に資材を運ぶために築かれたもの。
宮廃絶後の瓦の堆積。ひっこりと軒丸瓦が顔を出しているのがかわいらしい。(笑)
今回の調査も溝は多い、地味な調査になっているのだが、次の調査につながる発見もある。来年度以降何が出てくるのか非常に楽しみなところでもある。
今回も、昨年に引き続きコロナ感染症対策として、全体説明はなく、必要があれば質問してください方式だった。早く全体説明や調査区の説明が復活してほしいなあ。
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