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今回は、服部川駅で来迎寺周辺の群集墳を探してみることにした。途中民家が立ち並ぶ中に「俊徳丸鏡塚」と呼ばれる横穴式石室を持つ小古墳を発見する。持参した懐中電灯を片手に石室内部に入ってみると中には、埴輪の模型が置いてあったりする。まあこの時期の古墳には埴輪はないはずであるが、古墳ということで誰かが置いたのだろうか?
俊徳丸というのは説教節の「しんとく丸」のことで、そういえば「国を申せば河内の国高安の郡、信吉長者と申して・・・。」と話が始まっており、新潮社から出ている説教集の本では山畑にある宝積寺のあたりだとしている。(ただ今日通ったけど何もなかったが・・・。)近鉄の大阪線に俊徳道駅があるがそれも俊徳丸にちなんだものという。その俊徳道駅の前を通る道は十三街道といい、八尾の北のほうを通って奈良に抜ける道である。
俊徳丸鏡塚古墳をでて、更に上に登っていくと来迎寺に着いた。墓地の中に3基ほど古墳を見つける。墳丘が墓に削られてしまっている古墳もあった。また抜塚と名づけられて道のようになっている墳墓もあった。(写真の古墳がそうです。)ただ、来迎寺北古墳と名づけられている古墳があるのだがみつけられずじまいで、下に降りる。途中史跡の道の案内でドルメン古墳を探したのだがこれも見つけきれず、なんか登っていくと産業廃棄物の置き場みたいなところに入っていったのであきらめて降りて、楽音寺・大竹古墳群の中にある愛宕塚古墳をみることに。
ここでも懐中電灯は大活躍。石室の中に入り、写真を何枚か写す。愛宕塚古墳は府の史跡に指定されているが、これだけの巨大な横穴式石室は府下でも有数とのこと。また調子に乗って墳丘にも登ってみた。大阪平野が眼下に広がっていた。
池のほとりにある向山古墳を横目に中河内最大の心合寺山古墳へ行く。最近整備されきれいな前方後円墳の姿を見せている。墳頂には復元された埴輪がずらりと並んでいた。
その後、学習館を経て鏡塚古墳へ。工場の裏側にあり。石碑が立っている。低いながらも後円部の墳丘は残っていた。この他経済法科大学の裏側にも西の山古墳が存在しているのだがさすがにそこまでは行けなかった。古墳の古い順番では向山古墳→西の山古墳→心合寺山古墳→鏡塚古墳→愛宕塚古墳になるようだ。ちなみに心合寺山というのは飛鳥時代に建てられたお寺の名前と関係があるらしい。寺院が建設された時代と愛宕塚古墳が作られた時代とそう変わらないと思われるので古墳群を形成した一族と関係があるのかもしれない。
天気がよく、非常に気持ちがよかったけれど、最後は鏡塚古墳からからぐるぐると結構な距離を歩いて、服部川駅から電車に乗って帰りました。
たくさんの写真をとったので機会があればHPなどに掲載したいですね。
それから高安古墳群についてわかりやすい解説書があればなあと思う。八尾市でも作っていないのかね?
俊徳丸というのは説教節の「しんとく丸」のことで、そういえば「国を申せば河内の国高安の郡、信吉長者と申して・・・。」と話が始まっており、新潮社から出ている説教集の本では山畑にある宝積寺のあたりだとしている。(ただ今日通ったけど何もなかったが・・・。)近鉄の大阪線に俊徳道駅があるがそれも俊徳丸にちなんだものという。その俊徳道駅の前を通る道は十三街道といい、八尾の北のほうを通って奈良に抜ける道である。
俊徳丸鏡塚古墳をでて、更に上に登っていくと来迎寺に着いた。墓地の中に3基ほど古墳を見つける。墳丘が墓に削られてしまっている古墳もあった。また抜塚と名づけられて道のようになっている墳墓もあった。(写真の古墳がそうです。)ただ、来迎寺北古墳と名づけられている古墳があるのだがみつけられずじまいで、下に降りる。途中史跡の道の案内でドルメン古墳を探したのだがこれも見つけきれず、なんか登っていくと産業廃棄物の置き場みたいなところに入っていったのであきらめて降りて、楽音寺・大竹古墳群の中にある愛宕塚古墳をみることに。
ここでも懐中電灯は大活躍。石室の中に入り、写真を何枚か写す。愛宕塚古墳は府の史跡に指定されているが、これだけの巨大な横穴式石室は府下でも有数とのこと。また調子に乗って墳丘にも登ってみた。大阪平野が眼下に広がっていた。
池のほとりにある向山古墳を横目に中河内最大の心合寺山古墳へ行く。最近整備されきれいな前方後円墳の姿を見せている。墳頂には復元された埴輪がずらりと並んでいた。
その後、学習館を経て鏡塚古墳へ。工場の裏側にあり。石碑が立っている。低いながらも後円部の墳丘は残っていた。この他経済法科大学の裏側にも西の山古墳が存在しているのだがさすがにそこまでは行けなかった。古墳の古い順番では向山古墳→西の山古墳→心合寺山古墳→鏡塚古墳→愛宕塚古墳になるようだ。ちなみに心合寺山というのは飛鳥時代に建てられたお寺の名前と関係があるらしい。寺院が建設された時代と愛宕塚古墳が作られた時代とそう変わらないと思われるので古墳群を形成した一族と関係があるのかもしれない。
天気がよく、非常に気持ちがよかったけれど、最後は鏡塚古墳からからぐるぐると結構な距離を歩いて、服部川駅から電車に乗って帰りました。
たくさんの写真をとったので機会があればHPなどに掲載したいですね。
それから高安古墳群についてわかりやすい解説書があればなあと思う。八尾市でも作っていないのかね?
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