桓武天皇御母高野新笠陵を訪ねた後、陵のある丘陵の前を通っている府道142号線をもう一人の桓武天皇所縁の淳和天皇御母藤原旅子陵に向かって歩いて約30分、ひたすら比較的古くからあるような住宅地の中を歩いていく。周りの風景が急に竹林となり、雰囲気が変わったなと思うと左手に三ノ宮神社と呼ばれる神社があった。その参道の横の細道が、淳和天皇の御母藤原旅子の陵につながる参道である。
三ノ宮神社については、祭神が玉依姫命とされるほかは由緒などは全くわからない。ただ、このあたりにはいくつか三ノ宮神社と呼ばれる社が存在しているようである。
三ノ宮神社からめざす御陵には丘陵の上を登っていくことになる。ここも先の桓武天皇御母陵ほど坂道が急ではないが、それでもだらだらと長い登り道が続く。
しばらく歩くと、丘陵の上に御陵があった。
拝所までの道のり、かなり息が上がった。(笑)
さて淳和天皇御母とはどなたという訳で調べてみると、藤原旅子という女性で桓武天皇の夫人となり、淳和天皇を産んでいる。父は藤原四子と言われた藤原宇合の子、藤原百川である。
藤原百川は、称徳天皇が亡くなった後、光仁天皇の擁立に功績のあった人物で、その娘である藤原旅子が、桓武天皇の後宮に入り、大伴親王、のちの淳和天皇を産むも2年後30歳で薨去し、この地に埋葬されたとのこと、
桓武天皇の陵園計画の一つなのか、桓武天皇御母高野新笠陵と同様に長岡京の北に埋葬されている。
ここが、本当に藤原旅子の御陵なのかと言うと、あんまり積極的にそうだと言える材料がない。
京都市の遺跡地図を確認すると、この辺りには、塚原古墳群という群集墳があるようで、この御陵も群集墳の一部を改変して御陵に仕立て上げたのかもしれない。
確かにこの拝所にアクセスする道のわきに古墳らしき高まりが残っている。
この後は、桂駅の方へ向かってぶらぶらと歩くこととしよう。
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