休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の古墳② 見瀬丸山古墳

2015-02-02 01:22:39 | 史跡を歩く
 剣池から南へ下っていくと、見瀬丸山古墳に出る。五条野町側から訪れたので、古墳の大きさが一望できる。

 

 1枚の写真に納まらないので、パノラマ写真風に撮ってみた。あんまりうまくゆかない。とにかく大きい。大きさで言えば、全国で6位、奈良県で1位であるらしい。全長は、318m、後円部径150m、前方部幅192mとなっており、後期の古墳の特徴である前方部が大きく発達した古墳である。ただ、写真のように横からを見るとこんもりと森になっているところだけが後円部のように見えるので非常にバランスの悪い古墳に見える。航空写真を見ると明らかなのだが、森になっているところは、後円部の一部である。また、この部分だけは畝傍陵墓参考地ということで、宮内庁の管轄になっている。ちなみに古墳全体は、国の史跡に指定されている。

 前方部の方から、後円部をめざして登ってみる。道なき道を歩いたため、結構大変。墳丘には葺石などはない様子だった。前方部に登ってみると、とにかく広大。そりゃ、昔の人はただの小山だと思っていたのも納得できる。丸山古墳という名称からして、古くは円墳だと思われていた。墳丘が300m以上もある畿内の古墳で実際に墳丘に登れるのは、ここぐらい。あとは、天皇陵等に指定されているため、立ち入ることはできない。だから、こういう墳丘の景色というのも貴重なものである。

 

 古墳からは、大和三山も見ることができる。写真は、墳丘から畝傍山を望んだものである。

 

 後円部に行ってみる。ぐるりと巡回できるようになっているので柵に沿って歩いてみる。少し前、この古墳の石室が民間人が石室の内部の写真をと撮って公開したことがあった。横穴式石室自体はその後宮内庁により閉塞されているのだが、何かしら石室の形跡でも見えないかなと思って見ていたが見ることはできなかった。この古墳に登る人は、同じことを思うのか、何人かの人に聞かれた。

 たぶん、南側にあるのだと思うのだけどもわからなかった。ただ、この辺りだけ柵が厳重になっていた。

 もう少し歩くと、丸山古墳の案内板があり、古墳についての説明と写真が載っていた。
 見瀬丸山古墳の埋葬施設としては、横穴式石室を持ち、石室の規模としては、全長28.4m、玄室内には、家型石棺が2つある。石室の大きさは、国内最大級とのこと。石棺の形式的には、奥にある方が新しいという。後円部を回っていくと、遠くに植山古墳が見える。

 

 現在は、公園整備事業が進められているため、ブルーシートで覆われており、見学をすることはできない。平成28年度には工事が終わる予定のようなのでそれまではお預けというところかな。

 見瀬丸山古墳の被葬者については、欽明天皇あるいは宣化天皇のいずれかだと言われている。ただ、欽明天皇だと考えると埋葬されたと伝えられる地名と合わない。また、宣化天皇だと考えると地名は合うのだが、宣化天皇としての事績がこれほど巨大な古墳を作るほどの事績がないような気がする。ちなみに明治初年までは、天武、持統天皇陵とされていた。
 とにかく前方後円墳の最終段階の古墳である。

 

 ちなみに後円部を一周した後、反対側に降りてみた。こっちの方が断然登りやすかった。

 

 

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