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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

百舌鳥古墳群を歩く ⑬ ~大山古墳とその周辺(鏡塚古墳・坊主山古墳)その2~

2017-07-17 00:46:22 | 史跡を歩く
 塚廻古墳から少し戻って大山古墳の東側を走っている阪和線の夕霧町踏切を越えるとスーパーマーケットがあり、その駐車場の中にブロックに囲まれた植込みのような小さな盛土がある。

 

 これが鏡塚古墳と呼ばれる古墳なのだが、説明板や標柱がなければおそらく古墳と意識する人は少ないだろうと思われる。おそらくこの状態のままであればいつも何か風化してなくなってしまうのではないかとも想像される。それほど雑然と駐車場の中に佇んでいる古墳である。

 

 鏡塚古墳は、墳丘のかなりの部分を阪和線や道路によって削平されているが、平成6年、7年に行われた発掘調査では、直径26mの円墳の墳端と周濠の跡が検出されている。

 

 濠からは、埴輪片がいくつか採取されており、それによると大山古墳と同じこ5世紀の中ごろに築造されたと考えられている。
 案内板によると、この古墳を守るため、古墳と阪和線の間にある道路の一部が狭くなっているのだが、中途半端な配慮のような気がする。

 

 鏡塚古墳は、百舌鳥古墳群の中の古墳にあっては珍しく墳丘の上に上がることができるのだが、この古墳に至ってはマイナスにしかならない。せっかく国の史跡に指定されているのである、出来れば何らかの保存処置を取ることが必要なのではないかと思う。
 この鏡塚古墳から東へ住宅街の中を歩いていくと坊主山古墳と呼ばれる住宅と駐車場に挟まれた小さな古墳を見つけることができる。

 

 坊主山古墳は直径10mほどの円墳で、現在仁徳天皇陵り号陪冢として宮内庁が管理している。

 

 そのため、発掘調査等全くされていないため詳しい内容はわかっていない。ただ、大山古墳からかなり離れているので、陪冢ではなく独立した古墳なのではないかと言われている。

 

 坊主山古墳についても、周りが住宅に囲まれているためなかなか見つけにくい環境にはある。

 

 鏡塚古墳についても坊主山古墳についても世界遺産を構成している百舌鳥古墳群のリストからは外れている。しかし、1500年の風雪に耐えて半壊状態になりながらも生き残ってきた古墳である。出来る限り次世代へつないでいけるように考えて行かないといけないのではないだろうか。華やかな世界遺産への登録事業ではあるが、そのリストから漏れた古墳も後世にしっかり伝えていけるようにしていかないといけないのではないだろうか。

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