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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

古墳の発掘

2005-05-03 22:44:20 | 読書日記
 古墳の発掘 
 森浩一著 中公新書
 今でもおそらく版を重ねているであろう考古学の名著。語り口が非常に平明でわかりやすい本である。よく考えると多分二十年近く前に本書に出会っている。高校生か大学に入りたての頃だ。考古学への興味が一番あった頃だと思う。それから今になって読み返しているのは、まあ仕事で必要だからというのもあるんだけど、自分の原点みたいなのにちょっと触れてみようかなみたいなのもある。高校の日本史とは全く違った歴史像に非常にわくわくしていた記憶がある。
 ふと考えてみるとこれだけの古代史ブームではあるが、わかりやすく市民向けに書かれた考古学や古墳の本って少ない気がしません。確かに古墳時代について書かれた本があったとしても、その基礎知識についてわかりやすく書かれているってこと少ないと思う。ある程度基礎知識があるって感じでしょう。そういう意味では本書が未だに存在意義があると思う。ただもう30年も前に書かれているのでかなり内容的には古くなっているでしょう。
 話は変わりますが、最近体験学習の一環でいろいろな資料館や博物館へ行きます。そこでいつも思うんだけど(うちの外の職員も一緒なんだけど)なんでか勾玉作りなんだなあ。どうしてでしょう。古墳関係の施設でも、弥生時代の施設でも勾玉作りなんだこれが。そしてうちの職員も学校関係者も特に違和感がないらしい。僕も始めのうちは、博物館で現物を前にして、勾玉を作ってみると言うのは非常に意義深いと思っていたのだが、猫も杓子も勾玉でいいのかとちょっと思いはじめています。古墳時代の副葬品で勾玉は出ているけど、やはり肝心は、鏡であったり、武具や馬具だろうと思うんだけど、これだけ勾玉作りブームでは、ちょっと誤った古墳時代観が出来上がってしまうかなと思ってしまいます。少なくとも信仰が鏡を中心とした「日の信仰」が古墳時代に出来上がってくる、それと王権の形成と大きく結びついている。そこは明らかに弥生時代とは違うのだが。どんなもんでしょう。
 本書では、墳丘の企画を語るのに、基準として使っている尺の違いについて強調している。晋尺、高麗尺などの企画に使っている尺度の違いで作られた時代の違いがわかってくると言う。今ではあたりまえかも知れないですけどね。
 古墳の破壊については、自治体関係者の私としても痛ましい話です。一度壊してしまえば戻ってこないのだから、慎重にとは思うんだけどね。実際私がそういう部署にいったことがないので何ともいえませんが。土木関係の部署はなかなか大変みたいです。恫喝まがいのことも多いようです。聞いた話ですが・・・。
 昔、私の学生時代、レポートを書くため本書に紹介されている生駒山麓の高安千塚を見てまわったことがあるのだが、石室が込み捨て場になっていたり、炭焼きに使われていたり、高名なわりに置かれている惨状に心を痛めたものだが、その後の開発ブームでどうなったんでしょう。自治体が史跡などに指定して保護している様子もないですが・・・。
 本書で扱っている文化財行政、天皇陵の問題は今でも色褪せない問題です。「いたすけ古墳」は文化財保護の象徴として祭り上げられてはいますが、その影で姿を消した古墳は数知れないでしょう。天皇陵も最近の発掘で明らかに間違っているという結果が出ているのがあるそうですが。そして保存の問題、高松塚古墳やキトラ古墳を見ていると現代科学の限界すら感じてしまいます。人類を何回滅ぼせるほどの科学力をもってしても壁画を維持することが出来ないということはどういうことなんでしょう。人間の力の限界、自然のすごさを感じてしまいます。

 ※写真は、奈良の阿部文殊院にある文殊院西古墳です。切り石造りの見事な横穴式石室がある古墳です。
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