奈良の東大寺、秋の観光シーズンという訳で大勢の人が観光に訪れている。奈良公園から東大寺大仏殿へ向かう参道の途中、国宝東大寺南大門の少し手前の所に、吉城川と呼ばれる小さな小川がある。この川については、現在は吉城川と書かれるが、古来は、宜寸川と書かれていたらしく万葉集には、宜寸川として一首詠まれている。
「我妹子に 衣春日の 宜寸川 よしもあらぬか 妹が目を見む」 作者不詳
衣春日は、衣を貸すと掛けている。よしは、きっかけ、理由等の意味で、春日野を流れている宜寸川とつなげて、次のよしを導き出している。何ともいろいろな技巧を凝らしている歌なのだが、歌の意味としては、いとしい娘に会いたいが、何か口実はないものかなあ。衣を貸すが口実なのかな。何ともいろんな口実を設けて好きな女性に逢おうというのは今も昔も変わらない恋愛の一コマではあるなあ。そうこうといろいろ考えているときが一番楽しいのだけども・・・。
この日は、10月のはじめごろでちょうど鹿の角切が始まったころでもある。川にも鹿がいっぱい集まって水を飲んでいた。
これまであまり聞くことがなかったのだが、鹿たちがキュィーン、キュィーンと悲しそうな音調で泣いていた。声聞くときぞ秋は悲しきかと思いながら川を眺めていると、足元では牡鹿が気持ちよさそうに昼寝をしていた。
ちょうどお昼過ぎということで、人も動物も眠くなるのかなあとほのぼのと鹿を眺めていたら、急にドスンという音とともに4,5歳ぐらいの子どもの泣き声が聞こえてきた。どうも鹿を見ているうちに、橋から川の土手に落ちたようだ。ケガなどはなかったようだが、急に周囲がざわついて、いにしえの万葉の世界からにぎやかな現代に一気に引き戻されてしまった。
また、「万葉の旅」吉城川に項に、同じく春日野を流れる「率川」についても述べている。
率川は、現在は猿沢の池の南を流れる、川の水も枯れているかのような小さな川である。
「はね蔓 今する妹を うら若み いざ率川の 音のさやけき」 作者不詳
はね蔓は、年頃の女性が着ける髪飾りらしい。はね蔓から「いざ」までが、率川を導き出す序詞になっており、いざは、ひとをさそうときに発する語である。はね蔓の髪飾りをしている女性が若いのでいざ誘いたくなる。その率川の音のすがすがしいことよという意味なのだそうだ。
残念ながら、今の率川の流れは、水の音がするほどの流れはないのだが、別の意味で奈良らしい風情を残している。
川の中の船形の台座の中にお地蔵さんたちがいっぱい安置されている。「率川地蔵尊」あるいは「尾花谷地蔵尊」と呼ばれており、幕末の頃、率川の改修工事の際に地中から掘り出されたものをあつめて、ここにお祭りしているのだそうだ。一体一体が赤いよだれかけ(なんていうんだろう?)をしていて、なんとも奈良らしい光景である。
奈良町の方へ行くときは必ず通っていくようにしているお気に入りのスポットでもある。
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