休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

井真成

2005-06-14 06:00:15 | その他
 先日。藤井寺市の方に行ったとき、駅前から商店街にかけて、井真成という幟が立っていたのではじめなんだろうと思っていたのだが、しばらくしてこの間中国で墓誌が見つかった遣唐使のことかと合点がいった次第。そういえば以前藤井寺の市民団体がまちおこしとして井真成の墓誌の里帰りに取り組んでいるというニュースをテレビで見たことがある。これだった訳だ。葛井寺に続く商店街でもこの幟が一杯立っていた。そして商店街の一角に井真成研究会の事務所があり、新聞記事などがいっぱい飾ってあった。帰りに見ようと思って通り過ぎる。(結局寄るの忘れてしまった。)しばらく行くと、西国三十三箇所霊場で有名な葛井寺に着く。行ったときは平日だったためかほとんど人がいず、静かなたたずまいを見せており、いかにもお寺さんという雰囲気で、時間もゆっくりと流れているような感じであった。残念ながら国宝の千手観音像は開帳されておらずみることが叶わなかった。後は豊臣秀頼が寄進した四脚門が重要文化財に指定されています。そして境内のはずれには喫茶店(?)があり、そこでも井真成の墓誌などの新聞記事の切り抜きが飾ってあった。また、境内を見ると井真成生誕の地と書いた木碑まで立ってあった。こういう風にして民間伝承は生まれていくのかと思うと感慨深い。
 じゃあ井真成、井真成って書いているけど、いったい何者?つい昨年まで存在を誰も知らなかった人物である。これまでの歴史史料にはぜんぜん出てこない人物であった。墓誌の発見で初めて存在を知られた人物である。
 墓誌によると井真成は717年養老元年に遣唐使として入唐する。同じ遣唐使で入唐した人物では、阿倍仲麻呂や吉備真備などがいる。およそ20年唐の地で過し、736年唐の地で死亡したという。井真成というのも本名かどうかは不明。中国で名乗った名前ではないかといわれている。
 そこで「井」という苗字が渡来系氏族で知られ、この辺りに勢力があった葛井氏もしくは井上氏の「井」の省略ではないかと考えられないこともないことから、この辺りを井真成の生誕の地としているようである。確かに遣唐使は渡来系の氏族の出身者が多く任命されていることもあり、あながち蓋然性がないとはいえない。(なお葛井寺自体、葛井氏によって7世紀後半に創建された寺院である。)ただ「井」という苗字の人もいてるんだよね。
 遣唐使で日本で帰れないまま、中国で客死した有名な人物としては、阿倍仲麻呂や藤原清河、そして井上靖の小説「天平の甍」に登場し、鑑真和上の招聘に尽力を尽くした栄叡という留学僧がよく知られている。 そして現在、この井真成の墓誌は愛知博で展示されているとのこと。そして12月の本当に葛井寺へ里帰り(?)することが決まった。住民の願いが叶った素晴らしいことです。
 自治体に勤める私としては、これがまちおこしの正しい形のような気がする。本当に自分の住んでいるところの愛着から始まる運動が起こって、そして自治体が後押しをする。それが正しいと思う。「行政何とかせい!」ばっかりでは何も出来ないですよ。だってそういうことできる人間は市役所の中枢にはいないですから。
 藤井寺市は新興住宅の多い所なので、新旧住民が一体となって取り組むいい機会ではありますね。
 また、12月、藤井寺市で展示されるときは是非とも見に行きたいと思う。
 ※写真は葛井寺全景
 
 井真成関係HP
 遣唐使 井真成墓誌概要
 http://www.karitsu.org/news/kentoshi.htm
 井真成市民研究会
 http://www.geocities.jp/imanarikenkyukai/
 
 
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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どうもm(_ _)m (Mockey☆)
2005-07-07 11:12:09
非常に遅くなりましたが、TB有難うございました。パソコンからブログを見たのが久しぶりだったもので。。。

また藤井寺に遊びに来てください(笑)



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いえいえ (RYO)
2005-07-18 21:46:15
 コメントありがとうございます。

 藤井寺市は、自宅からそう遠くないので、気候がよくなれば、また古墳等を探しに歩き回ってみたいと思います。
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