京都の大学を卒業した娘の引っ越しの手伝いに上洛。ついで自転車も引き上げないとなということで、京都から大阪まで自転車で行ってやろうと計画。ちょうど娘の住んでいたところは、かつて平安宮の中心施設大極殿があった場所に隣接している。ついでに平安京の南北の大きさも体感してみようと思い立ち、朝11時、平安宮大極殿跡を出発した。
まずは、大極殿跡から、昔の平安京の朱雀大路にあたる千本通を下っていくことにした。
京都市内は平らなように感じるが、実は南北に緩やかな傾斜がある。北へ行くことを上がる、南に行くことを下がるというが、自転車で走ってみるとその通りで、力を入れてこがなくても十分進んでくれる。
JR二条駅の近くに朱雀門跡の石碑が立っており、この場所で平安宮は終了。
このまま、佛教大学の二条キャンパスを越え、立命館大学朱雀キャンパスを越え、三条通りを越えると、千本通りはかなり狭くなり、四条では、嵐電の下をぐぐっていく。(路面電車の嵐電の下をくぐるってなかなか珍しい光景ではある。)
この辺りは壬生と呼ばれるところで、幕末、新選組の屯所があったところである。
通りを走っていると時々写真のような幟を見かける。
京都卸売市場のあたりまで来ると、卸市場に隣接している公園の片隅に平安京の朱雀大路跡と書かれた石碑があった。
京都の人は歴史的な石碑等ありすぎて興味を示さないと言われるが、そんな感じで、興味のある人はほとんどいない様子である。
卸市場を越えると花街で知られる島原がある。こんな場所にあったんだとびっくり!!
幕末の映画、ドラマ、小説ではよく知られた場所、まさか新選組の屯所と道一本の場所にあるとは、自転車か歩いてみないとこの距離感はわからないなあ。
ちなみに島原は、江戸時代寛永17(1640)年に、六条柳町からこの場所に移転してきた時に始まるとされる。現在では、島原大門と揚屋である角屋、置屋である輪違屋などが残っていて、当時の雰囲気を今に伝えている。
さて、この後は、さらに南へめざしていこう。
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