美しい棚田で有名な稲渕。そこから少し川に沿った造られた集落を歩いていくと、飛び石と書かれた道標があり、案内に従って、飛鳥川の方へ田んぼの間を降りていくと、飛鳥川を渡るための飛び石(石橋)がある。
その飛び石へ降りていく道のほとりに万葉歌碑がポツンと置かれている。
歌碑には、「明日香川 明日も渡らむ 石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」という歌が万葉仮名で記されている。揮毫はもちろん万葉学者犬養孝氏である。
歌の大意は、割とわかりやすい。明日香川を明日にも渡って行きましょう。川の中の飛び石のように(あなたに)遠く離れた気持ちはもっていません。ずっとあなたを思っていますという感じかな。石橋は、浅瀬に並べ置いて、橋の代わりとした石。川の中の飛び石のことをいう。この場合は、遠き心に掛かる。
この辺りまでくると、明日香川の水も澄んできれいでもある。この時は比較的水の少ない時だったので、飛び石を簡単に渡れたが、川の水の多い時は、飛び石の上も川の水が流れてそうである。そうなるとなかなか渡って行きにくそうだ。
そう考えると、この歌に書かれたこともわかるような。ただ、言い訳のようにも聞こえるけどね。
現在の飛び石が、いつ作られたのかはわからない。もしかしたら、万葉の時代から綿々と受け継がれてきたものかもしれない。この川の流れと川に横たわる石を眺めているとそうした想像も可笑しくないような気分になる。上古から人々の生活に欠かせないものとして受け継がれてきたのだろうか。
この石橋は、大宮人が渡ったというよりは、この地で生活してきた人々が日々、この橋を渡ってきたのだろう。ちなみに飛び石は、この上流にもいくつかあるらしい。
飛び石のあたりまでくると客も少なく観光客もめっきりと少なくなり、ゆったりとした落ち着いた雰囲気を味わうことができる。
周囲の棚田や田んぼの畝に咲く彼岸花も美しく、日本的な風景といった様相になる。
この辺りの棚田は、本当に気持ちの良い景色である。
ただ、惜しむらくは、栢森へ行き来するバスがなくなったこと。この時も、バスがなかったので、ここから竹野王石塔と南淵請安墓を訪ねた後、引き返すほかなかった。赤字路線がどんどん切り捨てられていってるのだろうな。日本社会の病理を感じてしまった。
この美しい棚田もいつまでも残ってほしいものである。
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